2009年(平成21年) 3月31日(火)付紙面より
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「国境の町」や「裏町人生」など戦前を代表するヒット曲で知られる鶴岡市生まれの作曲家、阿部武雄(1902―68)の曲を歌い継ごうという第1回「阿部武雄音楽祭―阿部メロディーで紡ぐ昭和の歌謡史」が29日、同市中央公民館で開かれ、延べ28曲が地元の懐メロ愛好者らによって披露された。
阿部は同市湯野浜で旅役者の子供として誕生。間もなく両親が離別し、母親に連れられて各地を転々とした。苦学しながら東洋音楽学校に入学。卒業後、ホテルの楽士として全国を興行して回った。その後、作曲家を志しポリドールに入社。34年の「国境の町」は東海林太郎の歌で大ヒットし、一世を風靡(ふうび)した。その後も「むらさき小唄」「妻恋道中」「裏町人生」など数々のヒットメロディーを生み出した。
音楽祭は、市内の懐メロ愛好者ら19人で組織する「阿部武雄を歌う会」(長谷川満弘代表)が、「生きた文化として名曲を後世につないでいきたい」と開催。
この日は午後零時半に幕が上がると、バイオリンを演奏したりインタビューに答える阿部の姿が、フィルムで流された。続いて長谷川代表が会場を埋めた500人近い聴衆にお礼。そして「第1回と銘打っているが、次回以降は未定。できれば続けたい」と述べた上で、「出演者は、歌声に磨きがかかったと言われるように練習を重ねてきた。最後まで楽しんでほしい」と、軽妙な語り口であいさつした。
その後、同市や酒田市在住の「歌う会」会員らが、ガス灯などで演出を凝らし昭和初期のノスタルジーを感じさせるステージに次々と登場。独唱やデュエット、合唱、バイオリンとピアノ演奏などで、阿部が作曲した27曲を発表した。同市水沢出身のソプラノ歌手、草場(旧姓・板垣)貴子さんもゲスト出演。最後は代表曲「裏町人生」を会場も一体となって「暗い浮世の この裏町を…」と歌い上げた。
昭和初期の雰囲気が漂うステージで阿部武雄メロディーが披露された
2009年(平成21年) 3月31日(火)付紙面より
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2011年度の供用を目指す日本海沿岸東北自動車道(日沿道)温海―鶴岡間で、建設工事が進められている「小波渡トンネル(仮称)」の貫通式が29日、鶴岡市堅苔沢地区の同トンネル内で行われ、関係者が集まり、トンネルの貫通を祝った。
日沿道温海―鶴岡間26キロの区間では5本のトンネル建設が計画され、このうち小波渡トンネルは北側から見て三瀬トンネルの次に位置する。全長は2496メートル。三瀬側を起点に2005年6月から掘削工事に入り、月平均55・2メートルを掘り進んで3年9カ月をかけ貫通にこぎつけた。
貫通式には国土交通省酒田河川国道事務所、県、鶴岡市、東日本高速道路鶴岡工事事務所、建設業者ら約200人が出席。事業主体の俵谷祐吉酒田河川国道事務所長と発注者の川島聖鶴岡工事事務所長が貫通作業開始のスイッチボタンを押し、貫通を確認。その後、関係者が通り初めして貫通を祝い、俵谷所長らのあいさつに続いて、加藤紘一衆院議員、富塚陽一鶴岡市長、斎藤亮一県庄内総合支庁長が祝辞を述べた。
貫通式に先立ちトンネル内では、地元の三瀬、小堅、上郷の各小学校と豊浦中学校から児童生徒計15人が参加して「大声大会」も行われ、貫通式では小堅小の「岩ゆり太鼓」の演奏も披露された。
小波渡トンネルの貫通は、天魄山トンネル、三瀬トンネルに次いで3本目となり、今後、覆工コンクリート工事や排水工事などを行い今年9月に完成予定。工事費は約70億8000万円。
温海―鶴岡間で残る温海トンネル(延長6022メートル)と堅苔沢トンネル(同1996メートル)でも掘削工事が進められており、工事の進ちょく率は温海が66%、堅苔沢は30%という。
関係者が通り初めを行い、小波渡トンネルの貫通を祝った