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2010年(平成22年) 1月27日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―40―

「お互いさま」の心から発生

わらを握り姉妹に

 鶴岡市大岩川浜中(旧温海町)の旧国道沿いに、「浜中のケヤキキョウダイ(契約姉妹)」と書かれた案内板がある。説明書きには〈浜中に古くから一二、三才女の子がわらのくじを引いてキョウダイの契りを結ぶ習わしが伝わる。同じわらを引き合った二人が、ケヤキキョウダイになり、生涯を通じて交際を続ける〉とある。

 案内板は、1993(平成5)年、この伝統行事が文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定されたことから設置された。「ケヤキ」とは「契約」がなまったもので、同じくじを引き当てた者同士が義理の姉妹(きょうだい)の縁結びをし、生涯交際し・助け合うという。

 少女時代に義理の姉妹の契りを結ぶ。その事だけを見れば、少女の心をくすぐるような物語を思い描くが、実は、半農半漁と出稼ぎで生きる地域の悲哀と知恵から生まれた風習であることが、歩みから伝わってくる。

風習は相互扶助

 ケヤキ姉妹の風習の起源は200年前の江戸時代にさかのぼるといわれているが、最も興味深い「なぜこの風習が始まったのか」については定かではない。ただ、後になって語られていることは、零細な沿岸漁業と、出稼ぎと深くかかわっているのではないか、ということだ。

 大岩川地区は昔から出稼ぎ者の多い地区だ。典型的な半農半漁の地域だが、田畑は少なく、家計を支えたのは小規模な漁業と出稼ぎだった。同地区は大工や屋根葺き職人の腕がいいことで知られていた。1935(昭和10)年の出稼ぎ者数は98人、その70%が北海道や樺太(サハリン)方面へ出掛け、大工や漁業の仕事をした。出稼ぎするのは家長・長男・二三男。遠方であることから、よほど緊急な用事がない限り帰郷することはない。男手のほとんどが家を空け、留守は主婦が守らねばならなかった。

 大岩川地区で出稼ぎが盛んになるのは、羽越本線が開通した1919(大正8)年以後のことだ。それ以前は収入の多くがイカ漁やイワシ漁だった。船も小さく、漁に出る男は常に危険と背中合わせだった。いつ遭難するかも知れない環境の中から、相互扶助的な精神が自然と発生したのではないか、とも考えられている。

伝統の先行き不安

 ケヤキ姉妹の風習は、いざというときの近隣の助け合い、言わば「お互いさま」の心から生まれたといってもいい。このため、「ユイ」と呼ぶ、親類や仲間による共同組織を結んで田起こし、堆肥(たいひ)運び、田植え、稲刈りなどの重労働を共同で作業したり、「連レ」と呼ぶ同年齢集団は年に数回、作業が一段落すると気兼ねのいらない家に集まって「連レアツマリ」と称して会食し、絆(きずな)を深めた。

 文化庁の事業でケヤキ姉妹の記録作成で幹事を務めた矢口茂市さん(88)は、「人が減り、生活の多様化で姉妹の一方が遠方に移り住むケースが増えた。姉妹であっても実際の助け合いは薄れてきている。女性の伝統行事だから、女性が中心になって守ってもらいたいが、子供がいない『ムラ』になってしまっては」と、伝統の先行きを心配している。

(論説委員・粕谷昭二)

わらの端を握ってくじを引く少女たち。ここで生涯の義理の姉妹が決まる(平成11年ごろ)(左) 港で働く主婦。ケヤキ姉妹は浜のあばの相互扶助とも言われる(鶴岡市由良漁港で)
わらの端を握ってくじを引く少女たち。ここで生涯の義理の姉妹が決まる(平成11年ごろ)(左) 港で働く主婦。ケヤキ姉妹は浜のあばの相互扶助とも言われる(鶴岡市由良漁港で)


2010年(平成22年) 1月27日(水)付紙面より

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伝えたい意欲大切に STの会中川さん講演 心と言葉はぐくむ研修会

 県立酒田聾(ろう)学校(土門明校長)主催の「こころとことばをはぐくむ研修会」が25日、酒田市の東北公益文科大で開かれ、言語聴覚士(ST)で「こどもの発達支援を考えるSTの会」代表の中川信子さんが、「ことばを育てるために?子育てで大切にしたいこと」と題して講演した。

 中川さんは東京都出身。東京大教育学部教育心理学科、国立聴力言語障害センター付属聴能言語専門職員養成所を卒業し現在は狛江市、調布市(ともに東京都)などで幼児の言葉の相談・指導に当たっているほか、言葉の遅い子の支援を目指すNPO法人「ことのはサポート」の副理事長などとして活躍している。

 この日は、1997年にSTが国家資格になり、今は国内で約1万5000人いることを紹介した上で、「子供は自分の中に成長する力を持っている。みんなで見守ることを大事にしたい」と切り出し、「何の欠点もなく、真ん丸な子はいない。欠けたところがあっても、すくすくと成長する」との認識を示した。

 言葉は毎日の実体験の中で覚えていくもので、それが何を意味するか分かり、さらに伝えようとする意欲があってはじめて言葉として発せられるとし、「一番大切なのは『伝えたい気持ち』を育てること。その意欲を育てるのは大人の責任。子供の言葉を聞いてあげることが、伝える力を育てる」と解説。

 また、「日本語50音を言えるようになるのは大体4歳半で、しかも個人差が大きく、サやザ、ラ行は6歳までかかる子もいる」として、訓練を始める目安は「本人が自分の発音の間違いを自覚し、平仮名が読めるようになってから」と助言した。

 聴覚障害のある子供を支援するには、一人ずつ異なる発達度合い、違う個性があることを理解した上で、「まずは人と人としての安心できる関係づくりを」と呼び掛け、障害の有無にかかわらずどんな子供にとってもうれしい聴覚的配慮として「ゆっくり、はっきり、繰り返し話す」ことを挙げ、これが「すべての底流」とアドバイスした。

 さらに、「障害と今、この場で戦って治そうとしないこと。問題点をなくすのではなく、健全な部分を増やすようなかかわりをしてほしい。支援する側も無理をせずに、自分の度量の範囲内で取り組んでみては」と語り掛けた。

 小学校や幼稚園の教職員、保育士、聴覚などにハンデを持つ子供の保護者ら庄内一円の約150人が聴講した。

ゆっくり、はっきり、繰り返し話すことの重要さを語った中川さん
ゆっくり、はっきり、繰り返し話すことの重要さを語った中川さん


2010年(平成22年) 1月27日(水)付紙面より

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解体ショーで食育 魚屋さんが保育園訪問

 鶴岡市立西部保育園(粕谷久美園長、園児109人)で26日、「タラの豪快解体ショー」が行われ、1匹丸ごとのタラが切り分けられる様子を園児たちが見学するとともに、タラ汁など旬の味を楽しんだ。

 同市の4カ所の公立保育園は10年ほど前から毎年この時期、市内の鮮魚店の協力を得て解体ショーを実施している。子供たちに魚をさばく技術と文化を伝えるとともに、食べることの大切さを知ってもらうことが狙い。

 この日は梅津鮮魚店(同市本町三丁目)の梅津繁良店主(74)が同園を訪れ、前日由良漁港で水揚げされたばかりの雄の寒ダラ(約12キロ)を、鮮やかな包丁さばきで胃袋やアブラワタ、白子などに切り分けた。

 子供たちは、普段は目にすることができない1匹丸ごとのタラが解体される様子に興味津々。「タラ汁はアブラワタを入れないとおいしくならない」と梅津さんが解説しながら、包丁をたたきつけるようにぶつ切りにすると、園児たちから「わあっ」と歓声が起こった。

 内臓を取った後、三枚におろした身は年長組の園児たちが一口大に切り、お昼の給食でタラ汁にして出された。このほか、梅津店主が持ち込んだヒラメやアイナメ、タコ、アナゴを触るなどした。

手際よくさばかれるタラを興味深そうに見入る園児たち
手際よくさばかれるタラを興味深そうに見入る園児たち



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