2010年(平成22年) 3月11日(木)付紙面より
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カツラはなぜ桂なのか 小山 浩正
樹の名の由来を調べるのは楽しい作業です。桜の語源には諸説ありますが、そのひとつに次のような説話があります。天皇家の祖先とされるニニギノミコトが天から降臨したとき(これも天下りの語源です)、コノハノサクヤ姫という絶世の美女に一目惚れをしました。早速、姫の父である山神に結婚の許しを請いに行くのですが、山神は気前よく姉のイワナガ姫も差し出します。ただ、この姉は残念なことに相当のブサイク。あきれたニニギは、姉の方だけは親元に返してしまいます。これを恥じた父は「妹のサクヤは一時の栄華を、姉のイワナガは永遠の命を司る神なのだ。あなたは妹だけを手元に置いて姉を帰したから、今後、あなたの子孫の命は儚いものになるだろう」と伝えます。そんなわけで、人は死なねばならない運命になったのですが、この妹のサクヤの音が転じて、サクラになったという説があります。絢爛に咲いて、あっという間に散り去るサクラにはぴったりの話です。
前置きが長くなりましたが、私は以前カツラ(桂)の由来も調べたことがありました。実は、この樹は日本にしか分布しません。では、中国発祥の漢字で「桂」と表記される樹は元々何を意味していたのだろうと疑問に思ったのです。調べてみると、中国における桂とは月に生育するという伝説上の樹のことでした。月面に映る黒い斑点は、この桂の茂みと見なされ、その栄枯盛衰に応じて月は満ち欠けを繰り返すと言われています。でも、この樹は決して枯れないのです。そもそも月自体が多くの民族にとって不死の象徴とされる存在でした。その満ち欠けが死からの再生を想起させるのでしょう。一方、日本の子供たちは月にウサギがいると教わりますが、実は、ウサギも不老の水を地上にもたらす月の使者として世界各地に伝承が残っています。また、地中海の「月桂樹」は常緑であることから、ギリシャ神話では不老不死を得た女神の化身とされています。遙かシルクロードを挟んだ唐人がこの樹に月と桂の文字を与えたことは、彼らが異国の文物をよく承知していたことを示しています。
同じことが日本のカツラでも起きたのではないでしょうか。カツラはとてつもなく長寿の樹で、昔の山人は不死木と呼んだそうです。まさに伝説の「桂」のイメージです。おそらく、古代の帰化人が日本の事物に漢字を当てはめる作業を委嘱された際、故郷で不死木とされる「桂」の字をカツラに当てたのではないでしょうか。そして、私はこのカツラこそ、サクヤの姉であるイワナガの化身とされていたのではないかと疑っているのです。不死とされるカツラのごとく、イワナガは永遠の命を司る姫でした。カツラの無骨なたたずまいは、はかない栄華を象徴する可憐な妹(サクラ=サクヤ)とは対局をなすものです。カツラとサクラ、語呂もいいですよね。ただ、このお姉ちゃんにも唯一の色気があって、秋に魅惑的な甘い芳香を放つのが特徴です。だから連香樹とも書くことがあります。そう、香(か)が連(つら)なる樹、カ・ツラなのです。
(山形大学農学部准教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)
2010年(平成22年) 3月11日(木)付紙面より
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助け合いは当たり前
数え番
「少し足りねよだの」、「1匹取り換えるが」―。腰をかがめてヤリイカの箱詰め作業をしているお母さんたちの間から聞こえてきた会話だ。2月末の早朝、水揚げされたヤリイカの出荷作業が始まった酒田市飛島勝浦港では、お母さんたちが大忙しだ。
定期船発着所の岸壁に敷かれたビニールシート上は、船から揚げられたヤリイカでいっぱい。“ヤリイカの
海”にも似た中で、お母さんたちが底の浅いかごに3キロずつ仕分け作業する。仕事は「数え番」と呼ばれ、イカの鮮度を落とさず素早く行わなければならない大事な役目。お母さんたちがヤリイカ漁を支えているのだ。
多めに計量
大きさごとに分けて計量するが、ほとんどが3キロを少し超える程度と正確だ。規定より多めに箱詰めするのは、出荷途中でヤリイカが水を吐き出して軽くなるのを見越してのことという。長年の経験と勘が成せる技だ。
ヤリイカは大きさごとに4ランクに分ける。一箱に入る匹数の目安は、1番10匹、2番15匹、3番20匹、4番21匹以上。勝浦の西村静子さん(68)の話によると、「1番という特別大ぶりなヤリイカはめったになく、15匹が主流のようだと思う。長く数え番をしていると、ひと目見れば何番かは見分けが付くものです」と話す。
ヤリイカ漁にも好不漁の波がある。ひと朝に200箱以上も獲(と)れる大漁もあれば、10箱前後のこともある。西村さんは「大漁の日に当たった数え番は大忙しだ。その分張り合いはあっども、漁のない日は…。そごが、漁師の大変などごだなや」と話す。
分け隔てなく
お母さんたちがヤリイカ漁を支えている、と書いたのには理由がある。勝浦の猪口網(ちょこあみ)漁は共同作業・経営で行われ、原則的として地区で漁業権を持つ全戸が「株主」となって運営している。鮮度を落とさない素早い箱詰め作業は人手が頼み。株主だけの手では足りないから、数え番には株主以外のお母さんたちも参加する。
ヤリイカの猪口網漁が共同作業・経営で行われるのは、利益の一部を地区の行事費用に充てるため、皆が等しく働こうとの意味合いからだ。勝浦の伝統として受け継がれてきた決まり事だが、高齢化が進んで費用負担が重いと感じる人も増えている。共同作業の重要性は、この先ますます高まってくる。
数え番の仕事が終わると、岸壁に傷んでいないヤリイカを5匹ずつに分けて並べた。数え番の“ご苦労代”として、株主もそうでない人も均等に分ける。これと別に、傷ついて出荷できないヤリイカも同じように分けて各自持ち帰る。
勝浦には4つの組がある。朝7時、網上げを終えた船が戻ってくると、船倉の量を見て普通であれば2組、少なければ1組、大漁であれば4組全部に出てもらうよう有線放送が流れる。だからヤリイカ漁の時期、お母さんたちは毎朝気を抜けない日々が続く。
高齢化が進む飛島では、人々の支え合いが何よりも大事だ。「助け合いは当たり前」と、西村さんは話す。
(論説委員・粕谷昭二)
2010年(平成22年) 3月11日(木)付紙面より
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「おばあちゃんの漬け物教室」が10日、鶴岡市中央公民館で開かれた。市内の主婦たちが参加し、“田川の漬物おばあちゃん”の鈴木末さん(78)から昔ながらの手作り漬物の漬け方を学んだ。
数年前に同公民館で開いた漬物教室が好評で、今回再び鈴木さんに講師を依頼し10日、17日の2回にわたって開催。参加者を募集したところ、中高年の主婦層を中心に男性2人を含む24人が受講を希望した。
この日は大根のこぬか漬け、塩漬けしたナスやキュウリ、ミョウガにかつお節をまぶす「ほろほろ漬け」、伝統の赤カブ漬けなどを鈴木さんが“伝授”。「こぬか漬けの調味料に紅花を加えると、とてもいい色さなっさげの」といった鈴木さんの解説を聞きながら、参加者たちは和気あいあいとさまざまな漬物作りに挑戦した。
参加した30代の主婦は「以前、田川で赤カブ漬けを体験した時、鈴木さんに教えてもらった。今日はたくさんのレシピを覚えたい」と話していた。完成した漬物は、昼食に出され、鈴木さんが用意したワラビのかす汁や漬物を細かく刻んだまぜご飯などと一緒に食べた。
漬けてから食べごろになるまで時間がかかる赤カブ漬けなどは、1週間後の第2講や教室終了後に参加者へ配るという。
2010年(平成22年) 3月11日(木)付紙面より
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2010年度の公立高校入学試験が10日、県内で一斉に行われた。推薦入学内定者を除いた全日制の平均志願倍率は前年度より0・03ポイント高い1・08倍となり、総定員数が減ったことや専門学科志向の強まりなどを背景に3年ぶりに前年度を上回った。受験生はそれぞれ志望校への合格を目指して試験問題に挑んだ。
全日制の募集は49校104学科。総入学定員数は前年度比160人減の8600人となった。推薦選抜内定者を差し引いた一般選抜の定員は6963人で、これに対する志願者数は7520人。定時制は一般選抜定員276人に対し164人が志願した。
この日の庄内地方は前日に降った雪が残り、底冷えのする寒さ。午前中は曇り空に覆われ時折小雪がちらついた。県教委によると、庄内地方の各校はすべての試験会場で予定通り午前8時50分に1教科目の国語の試験が始まった。
このうち鶴岡市の鶴岡南高では、試験開始5分前の予鈴とともに受験生が会場となっているそれぞれの教室に入り、独特の緊張感が漂う中で試験開始を待った。開始のチャイムとともに問題用紙に向き合い、真剣な表情で取り組んでいた。この後、数学、社会、理科、英語の順に5教科の学力試験が行われた。
合格発表は17日に各高校で行われる。