2010年(平成22年) 3月9日(火)付紙面より
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酒田市黒森地区に江戸時代中期から伝わる農民芸能「黒森歌舞伎」(県指定無形民俗文化財)の酒田公演が7日、同市の希望ホールで開かれた。本狂言「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」などを、見事なせりふ回しで上演。「待ってました」の掛け声が飛び、客席と舞台が一体となった公演を繰り広げた。
黒森歌舞伎は、280年ほど前の享保年間(1716―35年)から続く伝統芸能。出し物の多様さやスケールの大きさは国内屈指とされる。例年2月15、17の両日、同地区の日枝神社境内で奉納上演されている。酒田公演は、地元の役者が演じる芸能をより多くの市民に楽しんでもらおうと、黒森歌舞伎保存会(平野宣会長)と市教育委員会が毎年3月に実施している。
この日は、黒森小の女子児童による少年太鼓で幕開け。続いて同校男子児童が「白浪五人男」として知られる「青砥縞花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」から稲瀬川勢揃いの場を披露。長ぜりふを堂々とこなして最後に見えを切ると、大きな拍手とともに「いいぞー」などの掛け声をもらった。
今年の本狂言「義経千本桜」は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」、「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)」と並んで狂言三大名作の一つに数えられ、1993年以来の上演。
源平合戦で滅びたはずの平知盛(たいらのとももり)、維盛(これもり)、教経(のりつね)、義経の家臣・佐藤忠信の偽物を主体にした物語で、今年は二段目のうち伏見稲荷鳥居前(ふしみいなりとりいまえ)の場と、三段目のうち釣瓶鮓屋(つるべすしや)の場が披露された。
途中、「酒田のラーメン」など地元ネタや、バンクーバー五輪など時事ネタも取り込んだ楽しい場面もあって会場の笑いを誘う一方、浄瑠璃に合わせて見事な「見え」や「六方」など歌舞伎独特の動きを披露。詰めかけた歌舞伎ファンを魅了していた。
2010年(平成22年) 3月9日(火)付紙面より
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鶴岡市小国地区に伝わる伝統行事「小国八幡宮弓射(ゆみいれ)神事」(市指定無形民俗文化財)が7日、同地区の小国ふれあい村(旧小国小学校)の特設会場で行われた。寒さが残る山間で、裃(かみしも)姿の若者たちが古式ゆかしく弓引きの神事を繰り広げた。
弓射神事は、五穀豊穣や厄よけを祈願する小正月行事として、440年余りの歴史を持つと伝えられている。戦時中に一度途絶えたが、1958年に小国八幡宮弓射神事保存会が結成され復活。現在は3年に1回、3月の第1日曜日に行われている。
矢を的に当てることよりも射る前後の礼儀作法を重んじており、一般的な弓道のように口元からではなく胸元から矢を放つのが特徴。独特の作法から「小笠原古流」か「日置(へき)流」の流れをくんでいるとみられている。
この日は午前8時45分ごろ、八幡宮の神主にあたる宮守(みやもり)・五十嵐和一さん方から裃姿の射手ら約20人が「渡御(とご)行列」に出発。弓や供え物などを手に、会場まで約500メートルをゆっくりと練り歩き、ご神体を会場に移した。
同10時すぎに弓儀式が開始。はじめに11人の射手が「振り役」と呼ばれる選者に矢を預け、後ろ手で矢を1本ずつ取り出して弓を引く順番を決める「矢代(やだい)振り」が行われた。
射手は先に矢を放つ「甲矢立(はやだち)」6人と、続く「乙矢立(おとやだち)」5人の二組に分けられ、「丁見(ちょうみ)的」として約27メートル先に設置された1尺2寸(約35センチ)の的目掛けて試し打ち。
続いて、本番の「奉射(ほうしゃ)的」が行われ、片肌脱いだ射手たちが作法に気を配りながら5尺2寸(約160センチ)の大的や、四半(約40センチ)や四寸(約20センチ)などの小的を狙い、次々と矢を放った。射手が見事に的へ命中させ、烏帽子(えぼし)姿の「采振(さいふり)役」が「あたーりー」と唱えると、神事を見守っていた見物客からは大きなどよめきと拍手が起こり、「頑張れ」「格好いいぞ」と声援が飛んでいた。