2011年(平成23年) 1月1日(土)付紙面より
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新年のごあいさつ 「江戸の心」庄内に
荘内日報社社長 橋本 政之
新年明けましておめでとうございます。
ご愛読いただいております「荘内日報」は、正月14日で創刊65周年を迎えます。昭和21年(1946年)1月14日、前身の「荘内自由新聞」の週刊発行が始まりました。以来65年間、皆さまからご愛読、ご利用いただいておりますことに深く感謝申し上げます。
昨年の寅年は、前年に鳴り物入りで誕生した新政権に、「大人虎変(たいじんこへんす)=寅の毛がきっぱりと抜け替わるように、徳の高い人によって古い制度がりっぱな新しい制度に改められること」を期待した向きも少なくなかったでしょうが、顧みれば「小人革面(しょうじんはおもてをあらたむ)=徳のない人は表面的に改めるだけで本質は変わらないこと」という印象が強く残りました。
そんな思いが強くなったころの昨年10月に実施された国勢調査(速報)によると、平成の大合併で14市町村から2市3町となり5年が過ぎた庄内の人口は29万4171人。5年前の前回調査(平成17年)に比べて1万5322人、4・95%減少し戦後の国勢調査では初めて、30万人を割り込みました。
かつて、今秋に開港20周年を迎える庄内空港の実現を目指し、「庄内33万人の悲願」と訴えていたころ、これだけの人口減少は予測されていたでしょうか。また、ここ7、8年前からの県推計人口を併せてみますと、鶴岡市、酒田市は1年間にそれぞれ1000人前後、庄内全域では毎年2000?3000人ずつ少なくなっています。
「庄内」というくくりは酒井家の歴史と重なります。戦が絶えなかった戦国の世、家康に仕えた酒井家初代の忠次は徳川四天王の一人に数えられ、以来、両家の交わりは450年を超えています。
昨年6月、致道博物館創立60周年に際し酒井家18代の酒井忠久館長は、徳川宗家18代の徳川恒考(とくがわ・つねなり)徳川記念財団理事長に記念講演を依頼。徳川さんは「江戸時代を支えた日本の心」の題で、「現代社会は、華やかな元禄時代のあとの社会に良く似ている」と、「江戸」との比較論を繰り広げられました。
≪長い戦争(戦国時代)が終わって人口が急増し、「平和の果実」として経済が伸びる。その後、経済成長が止まって景気が悪くなる≫
元禄バブル後の「江戸」の姿が、明治以降の戦争の歴史、戦後の復興、そして今の日本社会に重なるという分析です。その時、8代将軍・吉宗が奨励したのは「質実剛健」「質素倹約」でした。
≪質実剛健の中で、ものを大切にする、ものを大事に使いながら、人々が楽しく暮らしていくという方向をつくった。よその国に攻めていかなかった。植民地もつくらなかった。日本の中だけでそういう安定した社会をつくり上げた≫
その「江戸」の姿、「経済成長が止まっても、豊かな心で、仲良く暮らしていく社会」は世界でも日本だけの実績という。
≪そうした江戸が持っていた心を一番強く残しているのはこの『庄内藩』ではないかと思うのですが、ここから、これからの世界に素晴らしい人間の生き方を示す何かいいものがあるのではないかと、考えているところです≫
WWF(世界自然保護基金)ジャパン会長も務める徳川さんの、地球の生き方の手本を「庄内」が示せるのではないか、という期待です。
鶴岡市の日本海を臨む寺に眠る茨木のり子さんの詩です。
「問い」
人類は
もうどうしようもない老いぼれでしょうか
それとも
まだとびきりの若さでしょうか
誰にも
答えられそうもない問い
ものすべて始まりがあれば終わりがある
わたしたちは
いまいったいどのあたり?
颯颯(さっさつ)の
初夏(はつなつ)の風よ
初出が「1991年5月『読売新聞』」とあり、20年も前です。あらためて敬服いたしました。
弊社は昨年、フルカラー印刷に対応できる設備に更新し、日刊「荘内日報」を中心に月刊フリーペーパー「敬天愛人」、地域課題などを取り上げる特集号の随時発行などを進めてまいりました。「輪転機を備えた新聞社の存在自体が地域の一つの文化」という評価をいただいたことがあります。
「庄内は一つ」という創刊の理念の下、「時代をつなぎ、地域をつなぎ、心をつなぐ」を郷土紙の使命と心得、さらに精励いたします。今年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。