2011年(平成23年) 12月15日(木)付紙面より
ツイート
城下町・鶴岡に年の瀬を告げる名物の「切さんしょ」作りが市街地の菓子店で最盛期を迎えている。
切さんしょは明治初期、旧一日市町にあった老舗菓子店の主人・8代目佐藤甚右衛門が東京の浅草で買い求めた菓子をヒントに考案したとされる。かつては菓子を作る際に大量に出る「くず」を保存し、年の終わりに山椒粉を混ぜて加工した。
鶴岡市街地では、七日町観音様のお歳(とし)夜(12月17日)に縁起物の菓子としてだるまと共に売られるようになり、現在も「年の瀬の風物詩」として親しまれている。
1862(文久2)年創業の老舗・久栄堂菓子舗=同市本町三丁目、五十嵐金吾さん(75)経営=では、玄米をいった餅粉と砂糖を蒸したものに山椒と焼きみそなどを加え、きねと臼でつき、一晩寝かせてから切り分け、余分な粉をふるいにかけて落とす昔ながらの製法を続けている。
5代目の順一さん(40)は「切さんしょをきねと臼でつく店は少なくなった。切り分けは機械を使うがあとは手作業。他の菓子より手間が掛かるが、毎年楽しみに待ってくれている人たちがいる。特に今年は出だしが好調で県外からも発送の注文が来た」と話した。
同店は先月24日に作り始め、13日は作業のピーク。「一日で約35キロ分の切さんしょをふるいにかける。とにかく根気がいる作業で4代目(金吾さん)と交代しながらやっている。この時期は切さんしょで一日が終わる」(順一さん)。
17日のお歳夜後、店内の作業が餅作りに切り替わると年明けはもう目の前という。