2012年(平成24年) 2月18日(土)付紙面より
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鶴岡市加茂の妙定寺(守山正純住職)で16日、「ヤクヨケ豆マキ大祈祷(きとう)会」が行われ、訪れた大勢の参列者が豪快にまかれる豆を全身に浴びて厄を落とし、無病息災や家内安全などを祈願した。
大祈祷会は毎年、日蓮上人の誕生日(2月16日)に行っている。同上人が佐渡へ流罪となった際、島民を苦しめていた大蛇を、経を唱えながら小石を投げて退治した逸話が由来とされる。
この日、県内外から約200人の信者らが参列。「お上人」と呼ばれる僧侶たちが境内で冷水を浴びて身を清めた後、本堂で祈祷を行い参列者の身体堅固、家内安全などを祈願した。続いて、お上人たちが「南無妙法蓮華経」と唱えながら、5升ますに入った豆を豪快にまいた。豆は体に当たると厄が落ち、食べると御利益があるとされ、参列者たちは「こっち、こっち」と風呂敷を広げて催促して全身で浴びていた。
この日は、約600キロ(10俵)の豆の他、紅白餅やミカンなども一緒にまかれた。
2012年(平成24年) 2月18日(土)付紙面より
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三川町は、方言についてまとめた単行本「庄内方言よもやま話し―しのざき先生のこげだ話し覚えっだが―」を出版した。方言調査で同町を訪れている東京女子大の篠崎晃一教授(54)が約10年にわたり、町広報に月1回、計100回連載したコラムをまとめたもの。篠崎教授は「かつてはコンプレックスともいわれた方言を見直すきっかけになれば」と話している。
篠崎教授は千葉県生まれ。東京都立大大学院博士課程中退。都立大助手、同助教授を経て、2006年から現職。専門は方言学、社会言語学。著書も多数で国語辞典の監修なども務めている。
三川町へは1990年に方言調査で初めて訪問。87年から始まった「全国方言大会」(2003年まで開催)の開催で方言を通したまちづくりを進めていた同町に関心を持ったのがきっかけだった。それ以来、「なんとなく町民に溶け込んでしまって」(篠崎教授)と調査研究などで毎年数回は訪れ、2002年からは「町民へ調査協力の還元をしたい」と町広報へのコラムの執筆を始めた。
当初は1年ほどの掲載予定だったが、「広報担当者から毎月原稿を催促されて」(篠崎教授)、昨年10月号まで9年間連載。10月号でちょうど100回を迎えたのを区切りとし、町が地域の財産として残そうと出版準備を進めてきた。
これまでのコラムに加筆・修正を加え、「庄内方言よもやま話し―」には、計93語を取り上げた。「人のうごき」「人のきもち」「人のからだと性格」「状態や呼びかた」の4つの分類で、ノダバル(寝そべる)やハヤス(野菜などを切る)、オモヤミ(心配)やショス(恥ずかしい)、マンキタガリ(やきもちやき)やマグマグデュー(頭や心が混乱する)、セズネ(切ない)やジョサネ(簡単だ)など、方言の由来や音便の変化を分かりやすく解説している。
篠崎教授によると、中央(京都)から地方へ言葉が広がっていったとみられる経緯から、方言には古語が多く残っているという。例えば、オモヤミは万葉集でも使われている「思い病む」が語源で、沖縄では「ウミィヤミィ」の形で残る。また、東北一帯で使われるメンゴイ(かわいい)は奈良時代に使われた「めぐし」という古語にさかのぼり、室町時代に「めごい」と形を変え、メンゴイ・メゴイと変化したとしている。
篠崎教授は「方言がコンプレックスといわれた時代もあったが、もともとは日本で使われていた言葉。貴重な言語資料として記録するとともに、方言を見直すきっかけになれば」と話している。
A5判、205ページ。町では1500部を製作。県内の公立図書館や庄内の学校施設に送付するほか、町内外の希望者に無料で提供する(希望者多数の場合は抽選)。問い合わせは町役場企画課まちづくり推進係=電0235(35)7014=へ。