2014年(平成26年) 9月20日(土)付紙面より
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鶴岡市の山戸小学校(工藤幸吉校長)の児童たちが18日、同校近くのほ場「愛米田」で稲刈りの体験学習を行い、これまで大切に育ててきた稲を丁寧に手刈りした。
同校では、山戸地区の自然の豊かさを知るとともに農業者の思いを受け継いで古里を誇れる子どもたちになってもらおうと古里教育の一環として毎年「愛米田」での稲作学習を実施している。地域の農業者、本間英機さん(70)らの協力で今年4月に6年生が種をまき、5月に全校児童で田植えを行い育ててきた。本間さんによると、今年は天候も良く、実りも品質も良い米に仕上がったという。
この日は秋晴れの空の下、約10アールのほ場で1―3年生がくい掛け、4―6年生が稲刈りに挑戦。1―3年の児童たちは自分の背丈ほどもある稲を何束も手に持ち一生懸命くいに掛けた。稲刈り担当の児童たちは本間さんらから刈る際の注意点を聞きながら鎌を手に一株一株丁寧に刈った。
1年の本間日和さん(7)は「稲は重いけど楽しい」、6年の本間丈士君(11)は「今まで大切に育ててきた。食べるのが楽しみ」と笑顔で話した。
この日収穫した米は11月に同校で感謝の会を開いた際、自然体験学習などに協力した地域住民らを招い
ておにぎりにして振る舞う。
2014年(平成26年) 9月20日(土)付紙面より
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鶴岡市羽黒町仙道にある「今井繁三郎美術収蔵館」が、今年11月末で休館することになった。洋画家の故今井繁三郎氏(1910―2002年)が自身の作品を常設展示する場として鶴岡市中心部から蔵を移築し1990年に開設したもので、約25年にわたり行政などの支援は受けず個人経営の“私設美術館”として運営してきた。館長を務めてきた今井氏の四女の齋藤木草(こぐさ)さん(71)は「体力的にも資金的にも限界で休館を決めた。どんな形でも活用できる方法があれば今後考えたい」としている。
今井氏は旧泉村(鶴岡市羽黒町)生まれ。鶴岡中学(現鶴岡南高)卒業後、上京して芝絵画研究所に所属し画業に専念。1945年の終戦とともに帰郷し、創作活動を続ける傍ら庄内を拠点にした美術団体「白甕社」の委員長を務めるなど、庄内の芸術文化の向上に貢献した。79年に県の齋藤茂吉文化賞、96年に鶴岡市特別文化功績賞を受けた。
収蔵館は90年、鶴岡市荒町(現山王町)にあった蔵が解体されることを知った当時80歳の今井氏が、「この文化財を庄内からなくしてはならぬ」との思いで移築。入植地である柿畑に囲まれた現在地に、一度解体して運ぶなどし、2棟の蔵が連なる形で建設。奥に建つ1棟の蔵は近年になって、町人文化が栄えた江戸の元禄2(1689)年の建築であることが古文書から分かった。
今井氏の作品約400点と、今井氏が各地で買い求めた民族人形など約1000点を収蔵。生前の今井氏が「雑草というものはない。花が咲く間は抜いてはならぬ」との言葉を残した通り、木々や名もなき花に囲まれ、まさに森の美術館といった雰囲気で、今井氏の絵の世界と静かなたたずまいで人気があった。齋藤館長は「厳しい時代だからこそ、隠れ家的な美術館として支持してもらえた」と語る。
2006年2月にはNHKの「日曜美術館」にも取り上げられ、全国から来館者があったが、開館当初から運営維持費として任意で300円の協力を求めるだけ。建物にかかる固定資産税は四姉妹が1期ずつ分割するなど身内で協力して運営を続けてきた。
しかし、開館から24年が経過し、建物の傷みも目立ち始めたこともあり、齋藤館長が「気力があるうちに決断しよう」と今春に休館を決意。道路から50メートルほどある舗装されていないアプローチの除雪も重労働だったことから、今年11月末までとした。
齋藤館長は「収蔵作品や建物の今後を決めてからだといつまでも決断できないと思い、心苦しくも休館を決めた。建物の状態からさらに移築は難しく、だからと言って古材にはしたくない。どんな利用法でも活用する方法があるといいのだけれど…」と話している。
11月末までは金・土・日曜と祝日の午前10時から午後5時まで開館。
問い合わせは齋藤館長=電080(5227)4692=へ。