2017年(平成29年) 8月11日(金)付紙面より
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江戸時代から明治にかけて日本経済の大動脈となった北前船航路の各寄港地を代表する子どもたちによる「北前船 北海道こどもサミット」が7―9の3日間、北海道小樽市で開かれた。山形県からは小学5、6年生6人が参加し、北前船について学んだことを発表した。
海への親しみを深めてもらおうと日本財団が推進する「海と日本プロジェクト」の一環。山形代表の6人は先月9日に酒田市や河北町で行われた「やまがた北前船こども調査団」に参加し、北前船がもたらした文化や歴史を学んだ。
サミットには山形、福井、新潟、秋田、青森の各県と北海道の代表も参加。8日に行われた各地の調査結果発表では6道県の子どもたちが制作した「北前船新聞」を基に各地の北前船の関わりを発表。山形県代表の6人は「紅花との交換で運ばれた文化」をテーマに発表。紅花と紅花染めのハンカチを見せながら「高価な紅花は紅もちに加工され北前船で運ばれた。加工すると2、3年持ち、紅花染めなどに利用された」と説明。北前船で財を成した酒田の本間家については「本間家三代目の本間光丘は石川県から北前船で運んだクロマツを海岸沿いに植えて防砂林を築いた」と発表した。
サミットではほかに、ニシン漁で富を築いた青山家が酒田市の本間邸をまねて建てた別荘・旧青山別邸(国登録有形文化財)の見学や小樽運河クルーズなどを体験。最後に「北前船が残してくれた宝物と交流で得たつながりを家族や友だち、そして未来に伝えていきます」と北前船北海道こどもサミット共同宣言を発表した。
代表で共同宣言を述べた酒田市富士見小6年の工藤苺香さん(11)は「参加には不安もあったけど、他県の友達も含めてみんなと打ち解けて楽しかった。山形県だけでなく、他の地域の北前船の歴史についてもたくさん学べたので、帰ったら友達にも話したい」と話していた。
2017年(平成29年) 8月11日(金)付紙面より
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鶴岡まちづくり塾(平智代表)が企画した夏休みイベント「つるおか給食探検隊!」が9日、鶴岡市内で行われ、小学生の親子連れが給食発祥の地・大督寺や昼食のおむすび作りなどで学校給食に理解を深めた。
同塾が今年4月に出版した学校給食についての書籍「もいちど、食べたい」を元に、鶴岡の学校給食に関する体験プログラムとして初めて企画。夏休み中の小学1―6年の親子12組25人が参加した。
この日は市役所を出発し、最初に大督寺を見学。その後、同市白山の学校給食センターで学校給食ができるまでを追った映像「おらほ自慢の給食センター」の視聴などをした後、櫛引公民館で農家レストラン「知憩軒」の長南光さん(68)=西荒屋=を講師におむすびと大根とニンジンのきんぴら作り。根菜は皮つきのまま拍子木切りにし、みそと砂糖で味付け。おむすびは食べる分を子どもたちが塩むすびにして昼食で一緒に味わった。
大山小2年の富樫優衣さん(7)は「火を使うのが初めてだったので心配だったけど、お料理は楽しかった」と話し、一緒に参加した母親の洋子さんは「村山出身で学校給食を食べたことがなく自分が興味があって参加した。安全な食に向けていろんな方の思いがこもっているのが分かり感動した」と話していた。
昼食後は月山高原に移動しジャガイモの収穫体験を行った
2017年(平成29年) 8月11日(金)付紙面より
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素数の妙技 小山 浩正
17年ゼミという蝉(せみ)が北米で時々話題になります。17年間を蛹(さなき)で過ごし、最後のわずか10日だけ成虫として地上に現れます。きっちり17年に一度だけ大量発生し、残りの期間は一匹も姿を見せない奇妙なセミです。最近は2007年にシカゴで発生し、その数50億匹と試算されました。次の発生は確実に2024年です。なぜ、毎年出てこないのかといえば、時間を置いて一斉に現れた方が天敵に捕まる確率が低くなるからという説が有力です。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というわけです。
17という素数にも意味があるとされます。実は、北米には13年ゼミという別種の素数ゼミがいます。素数は1とそれ自身以外に約数を持たない数なので、素数どうしの最小公倍数はとても大きくなります。つまり、両者が重なる機会はかなり減るのです。これがもし素数でない間隔、例えば10年ゼミと15年ゼミだったら30年に一回は両者がシンクロしてしまい異なる種同士で交雑が起きます。その結果、中間の12年ゼミとか14年ゼミも生まれてしまうかもしれません。そんなことが続けば、やがて毎年セミが現れることになり、天敵から逃れる効果を損なってしまいます。互いに重なりにくいのが素数の意義だったのです。
さて、鶴岡市朝日地域の「田麦橋」は、13年に1度架け替えをする約束になっていたそうです。ところが、木造の橋は材木を大量に使うので次第に周辺から良材を調達するのが大変になってきたという記録が残っています。森が豊かな朝日地域でさえ森林資源は疲弊(ひへい)していたことがうかがえます。ところ変わって、静岡県の大井川上流に架けられた刎橋(はねばし)の変遷も見てみましょう。近年の調査によれば、江戸時代に上流で森林が伐採されて以降、この橋の長さは架け替えごとに70メートルから100メートルまで10メートルずつ長くなっていたことが明らかにされました。伐採を境に洪水が頻発して河岸が削られた結果、川幅が広くなったからです。そして、この橋の架け替えも13年と決められていたといいます。どちらの橋も同じ素数が使われていました。区切りのよい10年や15年でなく13年なのはセミと同じ理屈でしょう。改修しなければならない橋は田麦橋や刎橋だけではなかったはずです。一つの橋を改修するだけでも大量の材木が必要なのに、それが重なってしまえば負担は一度にやってきます。橋同士の改修が重ならないようにするために、それぞれの間隔を素数に設定したのではないでしょうか。同調すると不都合が生じる時にヒトも生き物も素数を採用する知恵が生まれたと思えてなりません。
長野県出身の学生が、御柱祭をはじめ地元の祭りがことごとく7年毎だと教えてくれました。これも同じ理屈かもしれない。そういえば、お寺の法要も三、七、十三、十七回忌と、素数が多く使われます。同調しないで欲しい理由が、どこかに、あるいは誰かにあるのでしょうか。これ以上書くと、営業妨害になりかねないので、あとはご想像にお任せします…。
(元山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学。筆者は昨年3月に急逝されました。原稿は生前に寄稿していただいていたものです)