2017年(平成29年) 8月8日(火)付紙面より
ツイート
現代詩の長女と呼ばれた鶴岡市ゆかりの詩人・茨木のり子さん(1926―2006年)とその作品を慕う人でつくる「茨木のり子 六月の会」(黒羽根洋司代表)の発足10周年を記念する集いが5日、鶴岡市のグランドエル・サンで開かれた。茨木さんが育った愛知県西尾市の「詩人 茨木のり子の会」のメンバーも出席し、交流を深めた。
茨木さんは大阪府生まれ。母は三川の旧家出身。戦中、戦後の社会を描いた叙情詩を多数創作。遺骨は夫の三浦安信さんが眠る鶴岡市加茂の浄禅寺に納められた。六月の会は茨木さんの心の古里である庄内から茨木さんを発信する目的で2007年10月に発足。イベントや朗読会を開催するほか、隔月で会報を発行。購読者は約240人。茨木のり子の会は13年4月に活動を開始した。会員数約130人。
記念の集いには全国から約100人が出席。スライド「映像でたどる、茨木さんの心のふるさと・庄内」の上映に続いて、六月の会の黒羽根代表が「10周年を迎えられたのは茨木さんの詩で結ばれたさまざまな方からのご理解と支援があったからこそ。今日は愛知県西尾市から茨木のり子の会の皆さんも駆け付けてくれた。茨木さんのお母さんとご主人の古里で、詩の原点を成すこの地の空気や香りを皆さんの心に深く刻んで」、茨木のり子の会の安井克彦初代会長が「われわれの会はできたばかり。六月の会を手本にしてこれからやっていきたい」とあいさつ。鶴岡市出身のメゾソプラノ歌手・保多由子さんによる記念演奏が行われた。
記念講話では六月の会の戸村雅子さんが「茨木のり子への恋文・その後」と題して、昨年本を出版するまでの経緯や書きたかったことなどを説明。「茨木さんの詩を庄内という地域から読んでみたい、庄内の人々や風土が茨木の詩に与えた影響を探ってみたかった」と話した。茨木さんの両親の出会いを紹介し、「私たちが今日ここに集まったのは二人を出会わせた田林さんのおかげといえる。本の出版を通して田林さんのことが分かってすっきりしました」と語った。
第2部の懇親会には63人が出席。乾杯に続いて出席者によるスピーチや朗読が行われ、茨木さんのおいで医師の宮崎治さんが「2次会が始まる前、叔母の朗読の声が聴かれて感慨深く思った。叔母はこのような会は苦手だったのですが、おいや残されたみんなが楽しく過ごすことはいいこと」と話した。安井初代会長は「六月の会さんに茨木さんについて教えていただきながら交流を深めていきたい」、戸村さんは「庄内と西尾市と双方から見た茨木さんが合わさって初めて人間像が見えると思う。今後も行き来して交流できれば」と今後に期待を寄せた。
2017年(平成29年) 8月8日(火)付紙面より
ツイート
鶴岡市の湯野浜海水浴場で5、6の両日、新スポーツ「スラックライン」の多彩なイベントが繰り広げられた。世界各国の都市が参加した「グローバルシティバランスチャレンジ」に国内から初参戦し、愛好者や海水浴客が世界の都市との“バランス対決”を楽しんだ。
グローバルシティバランスチャレンジは、スラックライン(ベルト状に張られたライン)の上で10秒間バランスをキープした1日(24時間)の人数を世界各都市と競うもの。
両日とも真夏日となり、音楽が流れ熱気に包まれた会場では、主催した鶴岡スラックライン(五十嵐晃代表)のメンバーの指導で、愛好者や海水浴客が自由に体験し、10秒バランスに挑戦した。日本人で唯一ワールドカップチャンピオンとなった大杉徹さんらトップアスリートも来鶴。アクロバティックなトリックラインを披露するなど、国内初参戦のイベントを盛り上げた。
5日には県内初開催の検定会も行われ、庄内をはじめ県内の9人が受験した。天童市から参加した井上祐さん(50)は3級実技とC級インストラクターに挑戦。ラインの上でしゃがむドロップニー、座るシッティングやブッダなど10種の実技に取り組んだ。井上さんは「47歳から始めた。ラインの上に立つまで1週間かかったが、楽しくてはまっている。体幹が鍛えられ、歩く姿勢がとても良くなった。さまざまなスポーツのトレーニングにも有効だと感じている」と魅力を語った。