2019年(令和1年) 12月13日(金)付紙面より
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鶴岡・庄内を知る講座の第1回「鶴ケ岡城の歴史と面影」が11日、鶴岡市の荘内神社参集殿で行われた。鶴岡商工会議所創立90周年記念事業として5回行われる講座の初回。城跡に建てられた同神社の石原純一宮司(62)が城の由来を説明した。「なぜ“荘内”と“庄内”の2つがあるのか?」という疑問から石原宮司は語り始めた。その昔、武藤家がこの地を支配していた当時は一帯を大泉荘(おおいずみのしょう)と言い、その荘園内に町があったことで「荘内」と名付けられ、長らく使われたことを説明。「昔からの組織、荘内銀行・荘内日報などは荘の字を使うことが多いんです」とし「庄内」は新しい表現であることを説き、120人満杯の聴講者を引き付けた。
酒井家が信州から来て、2022年に入部400年を迎えるが、入部直前、最上家が庄内を支配していたころ、酒田の城が亀ケ崎城と改名され、「鶴亀」の対として、大宝寺城と言われたものが鶴ケ岡城に変わったという。
紙漉(かみすき)町、鷹匠町、新屋敷町、八坂町、最上町など城下町由来の古い町名があったのに、今は「本町」など新しい名前になり、風情がなくなってしまったことなど、町の今昔の変化を語ることで、約1時間の講話を飽きさせなかった。終了後は3班に分かれ、鶴岡公園内の城跡を歩いた。本丸御隅櫓(おすみやぐら)を復興させるアイデアがあったが賛否両論の末、11年3月11日、東日本大震災が起こり、集まった寄付は被災地支援に回ったことなども説明された。酒井家入部400年ではもう一度、鶴ケ岡城再発見的な行事、ムーブメントを起こしたい考えも明らかにした。
第2回は18日、「酒井家の歴史と治世」と題して酒井家18代当主の酒井忠久さんが講演する。問い合わせは鶴岡商工会議所=電0235(24)7711=へ。