2022年(令和4年) 10月26日(水)付紙面より
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酒田市中期観光戦略アクションプログラムに基づいて今年6月に設立した「酒田DMO」(荒井朋之理事長)による台湾での観光プロモーション活動が、25日まで5日間の日程で現地で行われた。同市の観光PRを担う「さかた観光交流マイスター」の酒田舞娘(まいこ)が同行し台中市内の旅行展示会場や各高校で舞を披露、インバウンド誘致に向けて広く酒田をアピールした。
酒田DMOは市内の観光関連団体・観光事業者と連携体制を構築し観光ニーズに対応するとともに、新たな観光誘客の推進による地域経済の循環に取り組む組織。観光動向調査、観光客の特性など収集したデータに基づく観光コンテンツの構築、観光プロモーションの実施、情報発信を展開していく。埼玉県出身の荒井理事長は長くJTBに務め、昨年から酒田観光戦略推進協議会に所属している。
日本でのインバウンドが解禁となり訪日外国人の増加が見込まれる中、台湾をターゲットとしていち早く活動を展開することでより大勢の誘致を図ろうと企画。一行は荒井理事長はじめ酒田DMO職員、酒田舞娘の小夏さんと鈴涼さん、地方の小鈴姐さん、剱持伸庄内ゴルフ倶楽部支配人ら計7人で、22、23の両日には台中国際展覧館で行われた「台中国際旅行展示会」に酒田市ブースを設けてパンフレットを配布するなどしたほか、午前・午後の計4回、酒田舞娘が舞を披露した。
酒田DMOによると、両日計10万人余が来場する盛況ぶりで、現地の旅行業協会との関係構築を図ったほか、酒田へのツアー商品造成を依頼したという。一方、酒田舞娘は近くの高級スーパー「裕毛屋」にも出向いて、共に写真に納まろうという人でにぎわった。
24日は員林高級中学、長億高級中学(いずれも16―18歳が集う日本でいう高校相当)を回り、集まった生徒を前に酒田舞娘が「酒田甚句」「もみじの橋」などを披露したほか、小鈴姐さんが酒田の歴史・文化、酒田舞娘を紹介。特に長億高級中では、先に台湾観光局諮詢委員、台湾観光協会顧問を務める江明清さん(東北公益文科大特別招聘(しょうへい)講師)の指導で公益大生が考案した酒田を巡るツアーを荒井理事長らがセールスし、「修学旅行でぜひ活用して」などと呼び掛けた。
2022年(令和4年) 10月26日(水)付紙面より
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テレビ番組の司会やコメンテーターでおなじみの歴史学者・磯田道史さん(51)=国際日本文化センター教授=が、国学者で出羽三山神社第三代宮司の物集高見(もずめたかみ)氏の和歌短冊1点を同神社に奉納した。「私が尊敬する国学者。物集先生も喜んでくれるはず」と磯田さんが持っていた短冊を宮野直生宮司に贈った。宮野宮司は「大変貴重なものを奉納していただき感謝したい」と羽黒山頂にある出羽三山歴史博物館で保管する。
物集高見氏(1847―1928年)は大分県杵築市生まれ。国学者だった父親の影響もあり漢学や国学、蘭学を学んだ。25歳のとき教部省で辞書編さんを手掛けたが、このころから言語に対する意識がさらに高まったものとみられる。その後、国文法研究には英文法も必要と考え英語の習得にもいそしんだ。内務省に移り1879(明治12)年、33歳で出羽三山神社の三代宮司に就任し83(同16)年まで務めた。86(同19)年には帝国大学(東京大学)の教授に。文部省の参事官も兼任した。「てにをは教科書」や「かなづかひ教科書」「日本大辞書ことばのはやし」「源氏物語提要」「和歌抄」など数多くの著書がある。
磯田さんによると、物集氏の短冊は数年前に京都の古書店から購入したもので「われはまたきかぬはつねをほとときすもりに三声をなさつといふなり高見」と書かれているという。宮野宮司に差し出した手紙では「雲井(宮中)でホトトギスは三声なくのに森の中ではなかないものらしい、と詠まれたものと思われる。物集先生のいらした森は羽黒山だったのでしょうか(抜粋)」と解説している。
磯田さんは先月、酒井家庄内入部400年を記念した講演会で庄内を訪れた。その際、出羽三山神社を参拝。宮野宮司と親交を深めた。物集氏の短冊は、自宅の書斎に大切にしまっていたものという。出羽三山神社歴史博物館の渡部幸学芸員は「歴代宮司を紹介する企画展の時に、ぜひ展示したい」と話していた。