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2023年(令和5年) 4月19日(水)付紙面より

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たにしの楽校と金子みすゞと

 「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」―は、童謡詩人・金子みすゞの代表作『私と小鳥と鈴と』の一節。鈴も小鳥も私も、それぞれに持っているものと持っていないものがある。それは、それぞれの個性であり、尊重したいという意味に聞こえる。小学校の教材でも使われる理由がそのあたりにあるのだろうか。

 鶴岡市田麦俣の、旧大網小学校田麦俣分校が民間の力で新しい学びの場として生まれ変わって16年。名付けて「たにしの楽校」。そこには、「みすゞ文庫」が設けられている。5月3日の今年の開校には、広く募集した「金子みすゞさんへ」の手紙を、文庫内で展示し、みすゞに思いを寄せる。

◇      ◇

 「たにしの楽校」とはユニークだ。田麦俣分校の保存活動に取り組む、鶴岡市の南正一さんが子どもの頃食べたタニシ(淡水生の巻き貝)のおいしさが忘れられず、仲間と話し合って決めた。▽た=楽しく▽に=にぎやかに▽し=幸せに。懐かしさの中にこそ学びの原点があるというのが楽校名の由来だ。同分校は1881(明治14)年の開校以来、地域の人々の心のよりどころになってきたが、2005年3月に廃校になった。南さんは地域の出身ではないが、市に頼み、活用しながら保存に取り組むことを認めてもらった。

 南さんが、本紙に寄稿している「がんばるたにしの楽校」の連載が、近く100回を迎える。93回目のテーマは「この指止まれ」。昔の子どもは、家の周りや神社の境内で、夕方暗くなるまで遊んだ。おにぎりを持ち、かくれんぼ、縄跳び、缶蹴りなどと遊びは素朴。ガキ大将が仲間内のトラブルを鎮めてくれるなど、子どもたちの心は充実していた。南さんは「そうした子どもたちの姿は、今こそ必要」と考えている。

 金子みすゞ(1903―30年)は、大正末期から昭和初期にかけて活躍した。26歳の若さで亡くなるまでの間、約500編の詩を残したが、みすゞの作品が注目されたのは、亡くなって50年も過ぎてから。今年はみすゞの生誕120年に当たる。

◇      ◇

 みすゞの詩に人々が心を打たれるのは、人知れずに自然界に存在するものへの思いやり、「生」のあるものへのやさしいまなざしがあふれているからのようだ。詩は推敲(すいこう)を重ねたというより、物事と出会い、目と心で感じたことをそのままに、誰でも感じるようなことを飾らない言葉で表しているからではないだろうか。

 たにしの楽校には全国で唯一、みすゞ作品の出版元のJULA出版局公認の「金子みすゞ文庫」が併設されている。みすゞが亡くなって90年以上を経ても詩は新鮮で、今、目の前で生み出されたような言葉でつづられている。たにしの楽校の呼び掛けに、みすゞへのどんな手紙が寄せられていることだろうか。

画像(JPEG)



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