2023年(令和5年) 6月14日(水)付紙面より
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NHK大河ドラマ「どうする家康」で徳川家と家臣団が改めて注目される中、鶴岡市などは旧庄内藩主酒井家の歴史を観光誘客につなげようと、7月11日(火)に東京都千代田区大手町の日経ホールで「庄内藩酒井家シンポジウム」を開く。徳川宗家19代当主の徳川家広さんの基調講演、酒井家19代の酒井忠順さんや歴史家らによるパネルディスカッションを通じて庄内への来訪を呼び掛ける。
徳川家臣団のリーダーで徳川四天王筆頭として活躍した旧庄内藩の藩祖・酒井忠次公と家康公について、徳川家広さんが基調講演する。パネルディスカッションでは、家広さん、忠順さんのほか、歴史家で作家の加来耕三さん、NHK歴史番組プロデューサーの谷口雅一さんの4人がパネリストとなり、徳川家と酒井家をテーマに語り合う。
今回のシンポジウムは、昨年の「酒井家庄内入部400年」の活動を引き継ぐ形で、歴史を起点にした城下町観光の振興に向け今春発足した、鶴岡市や関係団体による市城下町観光誘客促進実行委員会(委員長・石原純一荘内神社宮司)が主催。東京・大手町は旧庄内藩の江戸屋敷があった場所。シンポジウムの来場者に致道博物館で開催した特別展「徳川家康と酒井忠次」の図録を贈呈するほか、10月開催の「荘内大祭」など酒井家の歴史に関連する情報を発信し、首都圏からの来庄・来鶴につなげる。
日経ホールでのシンポジウムは午後6時開場、同6時45分開会。入場料1000円、定員600人。入場には事前申し込みが必要で、業務受託者の出羽庄内地域デザイン(鶴岡市)のホームページ=https://cradle-plus.com/=の専用フォームから申し込みできる。締め切りは6月30日。問い合わせは同社=電0800―800―0806(フリーアクセス)=へ。
2023年(令和5年) 6月14日(水)付紙面より
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起業家の「しくじり」からリアルな現状を感じてもらうことで、「自分でもできるのでは」と思ってもらうためのセミナーが9日夜、酒田市産業振興まちづくりセンター「サンロク」で行われ、ユニークな「しくじり」を体験した2人が講師として登壇。オンラインを含め約130人が興味深げに聴き入った。
起業を考えている人、一度は起業したものの挫折した人らを対象に、ロールモデルとなる人たちから失敗談を聞くことで、今後の生き方の参考にしてもらおうと、ウェブ広告、新規事業開発、人材育成コンサルなど手掛ける「SEAFOLKS」(東京、三宅裕介社長)が企画したセミナー。
この日、登壇したのは市内でプロジェクションマッピングなどデジタル技術を活用したサービスを展開する「ADDWILL」(上安町二丁目)の武田悠社長(26)と、空き家を使ったコミュニケーションサービスの提供に携わっている「最上のくらし舎」代表で新庄市在住の吉野優美さん(35)の2人。
このうち23歳で起業した武田さんの「しくじり」は「トライアンドエラーを得意としてきたため、常に何とかなると思い込んできた」ことから安請け合いで仕事を受注してしまったこと。「市八幡総合支所から『玉簾の滝プロジェクションマッピング』を受注した際、相場や必要機材などを調べることなく受けたため、トラブル続き。いろんな人から助けてもらい何とか実施し、地元の皆さんから感謝の言葉を掛けられ、涙が止まらなかった」と。そして「スタート時に無知なのは決して悪ではない。交流会などに積極的に参加し、そのつながりを生かして」とアドバイスした。
セミナーの後、登壇した2人に多くの質問が飛び、「自問自答を繰り返して初心を忘れないように」「起業を高いハードルと思わないでほしい」などの答えに起業を考えている参加者たちは熱心に耳を傾けていた。
2023年(令和5年) 6月14日(水)付紙面より
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新潟地震が発生した1964年6月16日から59年。震源は新潟県粟島南方沖、地震の規模はマグニチュード(M)7・5。最大震度は5だったが、被害は広範囲に及び、庄内でも多くの家屋が倒壊し死者も出た。それから55年後の2019年6月18日、山形県沖地震が発生した。地震の規模はM6・7、鶴岡市で県内の観測史上最大の震度6弱を観測したが、幸いにも大きな人的被害はなかった。
日本海で大津波を引き起こした地滑りの痕跡があることが、防衛大学校と岡山大学の研究チームの解析で分かった。本県沖の海底にも痕跡がある。地滑りは繰り返すことがあり、警戒が必要と指摘しているという。地震はいつ襲ってくるか分からない。対策の心構えを刻んでいたい。
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防衛大学校などは北海道―新潟沖の海底地形の中で、斜面の崩落がはっきり分かる約300地点を解析した。地滑りで海底が大きくえぐられた反動で、10メートル以上海水を上下動させて津波を引き起こし、海岸にも高い水位で押し寄せた可能性があるという。中でも北海道南西沖と山形―新潟沖の2カ所にある地滑り跡は海面を20メートル以上動かしたと推定している。
地震で海底がずれたり陥没するなどし、その反動で津波が発生する。その現象とは異なるが18年12月、インドネシア中部のジャワ島とスマトラ島の間の海峡で津波が発生し、大勢の犠牲者・行方不明者を出した。津波の原因は約50キロ離れた火山が噴火し、山体崩壊による土砂が一気に海に流れ落ちて海水を上下動させたとされる。地震と津波は結び付くが、火山の噴火と津波のつながりはなかなか想像できない。
防衛大学校などは、地滑りは繰り返す上、地震が小規模でも起こり得ると指摘している。日本海には断層のひずみが集中している「日本海東縁断層帯」がある。特に庄内沖にはいずれ地震が起きると想定されている「地震空白域」があり、山形県も発生した場合の庄内沿岸地域の津波到達時間や波高を示すハザードマップを作って注意を呼び掛けている。
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日本海では過去60年ほどの間に「男鹿半島沖地震(M6・9)」「新潟地震(M7・5)」「日本海中部地震(M7・7)」「新潟県中越沖地震(M6・8)」「北海道南西沖地震(M7・8)」など、5?7月にかけて大きな地震が発生し、津波による大勢の犠牲者を出している。猛スピードで押し寄せて来る津波の怖さだ。
庄内沿岸の地域では津波を想定した避難訓練も行われている。酒田市山居町では自治会が幅約1・2メートルの用水路に独自で木製の仮の橋を架け、避難行動時間の短縮を図った。ハザードマップを読み解きながら、よりスムーズな避難行動ができる方法はないかと工夫を凝らす。そんな積み重ねが命を守ることにつながる。
2023年(令和5年) 6月14日(水)付紙面より
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「時の記念日」(10日)にちなみ、鶴岡市睦町の常念寺保育園(田中英嗣園長、園児135人)の子どもたちが12日、近くの常念寺(渡邊成就住職)の国内最古(1880年製作)といわれる塔時計(市指定有形文化財)を見学し、時間について学んだ。
「時間」という目に見えないものを身近に感じ、園児に時計の役割や時間の大切さを知ってもらおうと、同園では数十年前から毎年この時期、時計見学を行っている。今回は年長と年中児合わせて54人が常念寺を訪れた。
この日は同園の渡邊剛紀理事長(56)が塔時計の歴史や作られた経緯を説明。園児は手作りした紙の時計を持ち、「とけいのうた」を歌った。その後、子どもたちは塔時計の中に入って内部を見学。自分たちの身長の倍ほど大きい時計に目を輝かせていた。
年中の五十嵐月埜ちゃん(4)は「時計の中に何か丸いものがぶら下がっていた。理事長先生の話を聞いて、時間って大切なんだなと思った」と話した。
2023年(令和5年) 6月14日(水)付紙面より
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数少ない庄内の紅花生産者として知られる加藤富子さん(77)=酒田市東大町三丁目=が、農業を始めて今年2年目の須藤明里(あかり)さん(28)=鶴岡市切添町=に種を与えて栽培技術を伝えている。今月初め加藤さんの指導を受けて育てた紅花の新芽(若葉)を産直に初出荷したところ、珍しさも手伝って好評を得た。今後は生育をずらして収穫し、11月まで鶴岡市の産直に出す予定。加藤さんは「一般的に紅花は内陸が有名だが、庄内にも根付かせたい。生まれ育った土地から紅花の種をなくさないことが私の願い。若い須藤さんには絶やすことなく頑張ってほしい」とエールを送る。
加藤さんが酒田で紅花を栽培するようになったのは今から15年ほど前。呉服会社に勤めていた頃、展示会で紅花染の美しい反物と出会ったことがきっかけとなった。定年退職後、白鷹町の紅花農家に1年間通い続けて栽培方法を学び、知り合い農家の畑を借りて本格的に栽培を始めた。
加藤さんによると、紅花栽培は例年3月中旬に種をまき10日ほどで芽が出る。新芽の収穫は5月の連休過ぎから。7月下旬に花を咲かせる。今は食育の推進と学校給食の充実を目指す県学校給食会(山形市)に新芽を納めている。そのほかは花や葉を乾燥させた「紅花茶」を作って自宅で楽しんでいるという。もちろん種の自家採取も忘れない。
「私も年だから。若い人に引き継ぎたいという思いが強い。知り合いを通じて野菜の少量多品目栽培に取り組んでいる須藤さんと出会い、どこか運命的なものを感じる」と話す。
加藤さんの気持ちを知った須藤さんは「お願いします」の一つ返事でOK。「感覚的なことを含めて体に染み込ませるまで数年かかると思うが、加藤さんからしっかり教わりたい」と意気込みを見せる。
紅花の新芽はシンプルにおひたしやごまあえ、みそ汁にサッと入れても良し。かき揚げにしてもおいしい。在来野菜など地元の食材にスポットを当てている鶴岡市の加茂水族館・魚匠ダイニング沖海月の須田剛史料理長(47)がこのほど、須藤さんが栽培した新芽を使った御膳を考案。レストランで提供を始めた。
加藤さんと須藤さんの思いは「紅花を庄内で絶やすことなく育て続けること」―。そして庄内から紅花の食文化を発信することだ。
加藤さんは「酒田にいる40代の男性も紅花栽培を始めたが本業が会社勤めなので無理はさせられない。一人でも多く栽培を学ぶ方がいればうれしい。須藤さんから種を受け継いでもらい、私も安心して引退できそう」と笑顔を見せる。庄内産紅花の継承に向けて須藤さんと二人三脚が続く。