2023年(令和5年) 6月17日(土)付紙面より
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1964(昭和39)年6月16日の新潟地震で幼児3人が犠牲になった鶴岡市京田地区で16日、地元の京田小学校(阿部敬子校長、児童127人)とほなみ保育園(遠藤由貴園長、園児94人)で避難訓練と追悼式が行われた。「自分の命は自分で守る」という防災意識を再確認するとともに、犠牲者の冥福を祈った。
新潟地震は新潟県粟島付近を震源とし、マグニチュード7・5を記録。庄内地方では鶴岡市で当時、京田小旧校舎に併設されていた京田幼児園の園児3人が倒壊した園舎の下敷きに、酒田市では酒田三中の生徒1人が地割れに落ちるなど、計9人が犠牲になった。
これを教訓に、京田地区では地震が発生した6月16日に合わせて毎年、京田小やほなみ保育園が避難訓練と追悼式を実施している。
このうち京田小で行われた避難訓練では、サイレンが鳴った後、「地震が起きました。机の下に身を隠し身を守りなさい」とアナウンスが入った。揺れが収まったとし、児童は学年ごとで色違いのヘルメットを着けて教室から体育館へ移動。階段は上学年が右側、下学年は左側を進み、互いが交錯しないよう工夫し素早く避難した。
引き続き体育館で行われた追悼式では、児童を代表して佐藤百華さん(6年)が「祖父と祖母に当時の話を聞き、地震はとても怖いものだと改めて感じた。犠牲になった人の分まで生き、悲しい天災があったことを忘れずに語り継いでいきたい」と話した。その後、各学年の代表児童が順番で祭壇に花束をささげ、犠牲者の冥福を祈り黙とうした。最後に阿部校長が当時の被害状況を説明し「悲惨な地震はいつ起こるか分からない。自分の身は自分で守ることをしっかり頭に入れて」と呼び掛けた。