2023年(令和5年) 7月5日(水)付紙面より
ツイート
「酒田の開祖」とされる徳尼公とその家臣「三十六人衆」の縁(えにし)をきっかけとし、酒田市は6月29日、岩手県平泉町と文化交流協定を締結した。市民・町民の相互訪問、歴史的なつながりを理解するための取り組みなど通して交流を深めていく。
徳尼公は平安末期の奥州平泉の藤原氏第3代・秀衡の妹「徳の前」とも、後室「泉の方」ともされる。1189年に第4代・泰衡の死によって藤原氏が滅亡した際、遺臣36騎を連れて平泉を逃れ、酒田に落ち延びた。飯森山に「泉流庵」を結んで徳尼公となり、1217年4月15日に87歳で亡くなるまで藤原一門の菩提を弔った。「泉流」は「平泉から流れてきた」の意とされる。
遺臣36人は地侍となって廻船業などを営み、後に商人が町を治める「酒田三十六人衆」の礎となったとされる。泉流庵を前身とする泉流寺(同市中央西町)が所蔵する徳尼公の木製座像は1751年に火災で焼失、64年に本間家第3代・光丘翁が京都で作らせ、それを納める御廟とともに寄進した。毎年4月15の命日に開帳し法要を行っている。
同町で開催される春の藤原まつりに三十六人衆の子孫で組織する「酒田三十六人衆」のメンバーが出演したり、徳尼公法要や酒田まつりに同町関係者が訪れるなどこれまでも相互に交流してきた。文化面を中心とした交流を推進することで、交流人口の増加を図るとともに、文化振興と地域経済の発展に寄与することを目的に今回、「奥州藤原氏が紡いだ酒田市・平泉町の絆を未来につなぐ文化交流協定」を締結した。
同町の平泉文化遺産センターで行われた締結式には、丸山至市長、高橋千代夫市議会議長らが出席。丸山市長、同町の青木幸保町長が「共有する歴史を礎として互いの歴史を学び、地域への愛着と誇りを持って、交流を深め、未来に向けて魅力あるまちづくりを推進」などとつづられた同市出身の書道家・高田桂帆さん(広島県在住)が揮ごうした協定書に署名した。
3日に市庁舎内で行われた定例会見で、丸山市長は「平泉の平は平和への祈りの意味。交流を通してこの地にも平和の精神を根付かせたい。これからの交流拡大に期待している」と話した。
市文化政策課によると、歴史講演会や資料パネル展の相互開催などで互いに理解を深めていくという。