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2023年(令和5年) 9月20日(水)付紙面より

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直木賞から50年作品の魅力衰えず

 「体は東京にあっても、心はいつも生まれ在所にあった」―。藤沢周平さんほど故郷にこだわった作品を書き、さらに数多くのエッセーを残した作家はいないと言われる。藤沢さんが『暗殺の年輪』で第69回直木賞を受賞(1973年)してから50年。それ以来、時代小説を次々と送り出し、どの作品も人々の心を引き付けてやまない。

 鶴岡市の藤沢周平記念館で「直木賞受賞50年記念企画展」が開かれている。テーマは「藤沢周平と直木賞」。企画展では30代半ばから小説を書き始めた藤沢さんが小説を書き始めてから受賞までの歩みを、作品を生み出すまでの草稿などの展示を通じて紹介している。

◇      ◇

 金峯山の麓で生まれた藤沢さんは、湯田川中学校で天職と決めた教壇に立った。しかし病を得て教職を去り、療養後は東京で業界新聞社に勤めた。妻を亡くし、新聞社の取材をして、帰宅すれば子どもと母の世話。小説の執筆は深夜だったという。

 作家としてのデビュー作は71年、第38回オール讀物新人賞の『溟い海』。この時のことを「新人賞の夜」としてエッセーに残した。「選考結果が出る時間は帰宅途中の電車の中。そこで会社に残って待つことにした。受賞の電話に、しばし茫然としていた。少々くたびれた文学青年が文壇の片隅に小さな椅子をもらっただけと思ったが、実は私の人生の転機となった夜だった」と。

 藤沢さんはデビュー前にも多くの作品を書き、湯田川中時代の教え子に読んでもらっている。教え子の「先生の作品は暗い、もっと明るい現代小説も」との評に、藤沢さんは「暗いものは全部吐き出さないと、明かりが見えてこない。つらい思い出を払しょくするため小説を書いた」と語った。そして苦難の時を抜け出したかのように「自分のためでなく、読んでくれる人のために書けるようになった」とも話している。作品の魅力から「鶴岡藤沢周平文学愛好会」ができ、亡くなると「寒梅忌」を開いて藤沢さんをしのんできた。

◇      ◇

 藤沢さんの、旧庄内藩がモデルというみちのくの小藩「海坂藩もの」の作品の情景から、庄内のどの辺りを思い浮かべて書いたものかが想像できる。丹念な取材を心掛け、「他の作品などを参考にしたくなることもあるが、小説には落とし穴があるかもしれないと思うと、自分の目で確かめたかった」とエッセーで書いている。企画展では、藤沢さんの几帳面さが分かる、手帳につづられたメモなども紹介している。

 藤沢さんの本名は「小菅留治」。作家名の「藤沢」は、若くして亡くなった妻の郷里「鶴岡市藤沢」の地名。直木賞は「溟い海」から数えて4度目の候補で受賞したが、作品の多くは「創作ではいつも故郷の原風景を思い浮かべていた」という藤沢さんの意図がうかがえる。企画展に足を運び、藤沢さんの歩みに触れてもらいたい。

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