2023年(令和5年) 10月14日(土)付紙面より
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庄内町・乗慶寺
佐藤中将墓参し献花
太平洋戦争時、多くの日本兵が犠牲となったインド北東部での「インパール作戦」に従軍した元日本兵・佐藤哲雄さん(104)=新潟県村上市=と、英国軍第2大隊所属の元軍人リチャード・ディさん(97)が庄内町を訪れ12日、同町の乗慶寺(阿部伸世住職)にある同作戦で指揮を執った旧余目町出身の佐藤幸徳中将(1893―1959年)の墓参を行った。同作戦で戦火を交え、79年の時を経て会談した元日本兵と元英国軍人の2人は佐藤中将の墓前で握手を交わし、不戦の誓いを新たにした。
インパール作戦は1944年1月、当時英国が支配していたインド北東部攻略のため旧日本軍が進軍した作戦。佐藤中将は第31師団を指揮。戦況悪化による補給物資の不足から飢餓や赤痢、マラリアなどで苦しむ将兵を救うため、司令部の命令に死刑覚悟で抗命。師団全軍の撤退を決断し、約1万人超の日本兵の命を救った。同作戦に旧日本軍は3個師団約10万人が参加。戦死者は約3万2000人超といわれ、その多くが餓死だった。
今回同町を訪問したのは、佐藤さんとその家族ら4人と、リチャードさんのほか父親が佐藤中将の部下で、日英交流に尽力し度々来庄している「ビルマ作戦協会」のマクドナルド昭子会長(72)ら6人。英国側から墓参の打診があり、地元の有志でつくる「インパール友好交流実行委員会」(奥山賢一実行委員長)が準備を進めてきた。
この日、同寺で行われた法要墓参には関係者約30人が参列。同作戦で犠牲となった両国の兵士らに対し読経が行われた後、2人は車椅子から立ち上がって笑顔で握手を交わし、今日までのお互いの無事を喜び合った。マクドナルド会長が「2010年に初めて佐藤中将の墓参をした時に、父を生かして帰してくれたことに感謝を伝えた。父が生きていなければ自分は生まれてこなかった。私の命がここにつながっていると強く感じた」と涙ながらにあいさつ。引き続き、同寺境内にある佐藤中将の墓前に佐藤さんは献花、リチャードさんらは花輪を供え、静かに手を合わせた。佐藤さんは「佐藤中将からは慈愛にあふれた言葉を頂き、親と思っている。今はロシアとウクライナが戦っているが、インパールのような悲惨な戦争は二度としないよう皆の力で努力していきたい」、リチャードさんは「私は誰にも敵意を持っていない。インパールも随分昔の話になった。私たちは友達で他の人と同じように私も平和を求めている。来年もここに来て再び佐藤さんとお会いしたい」と話し、2人は再び固く握手を交わした。
英国の一行は13日には東北公益文科大学を表敬訪問。学生らと戦争や平和について対話を行い、山居倉庫や出羽遊心館などを見学。14日午前に陸路で本県を離れる。