2023年(令和5年) 11月5日(日)付紙面より
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子供のころ、映画は特別な存在だった。家にテレビはあったが、白黒の小さい画面では、映画館の大スクリーンで総天然色(当時の呼び方)で観る映画と、迫力がまるで違った。
正月と夏休みは映画館に行くのが習慣だった。目当ては特撮映画なので、自然に「監督 本多猪四郎」の名は記憶に刻みこまれた。しかし「猪四郎」の読み方を知らず、かなりあとまで「いのしろう」だと思っていた。
その本多猪四郎の故郷の鶴岡で、いま功績を見直す気運が高まっている。本多は1911(明治44)年に鶴岡市大網七五三掛で生まれた。東宝に入社し43歳で撮った「ゴジラ」がヒットして世に出る。後世には特撮の円谷英二の方が有名になるが、円谷はあくまで特技監督で、作品全体の監督は本多猪四郎である。
2014(平成26)年にリメイクされた米国版「GODZILLA」で、渡辺謙が演じた科学者の名は芹沢猪四郎。芹沢とはゴジラ第一作に登場し、自らの命を捨ててゴジラを倒した科学者の名だ。つまりこの役名は本多猪四郎への深い敬意が込められたものだ。
ゴジラには本多の幼少体験や戦争経験が投影されて、深い精神性や哲学性を秘めている。だから単なる怪獣の着ぐるみを着て暴れる映画ではなく、数十年を経ても再評価されリメイクが続いているのだ。
一方で本多は、怪獣を主役にしない「地球防衛軍」や「妖星ゴラス」のような、SF映画の傑作を残している。特に「妖星ゴラス」は、ハリウッドの「アルマゲドン」に30年以上先駆けた、時代の先を行く作品だ。
当時はまだ特撮映画やSF、アニメなどは子供向けと考えられ、成人が熱中するものでないとされた時代だった。今ならサブカルチャーと呼ばれる分野だろう。
今日(こんにち)、私たちが「スター・ウォーズ」を観るときに、「SF映画を観る」とはいわない。スター・ウォーズはスター・ウォーズなのだ。サブカルチャーだったSF映画や特撮映画は一般化し、世の中に普及する時代になった。それはスピルバーグやルーカスの功績が大きいかもしれないが、日本の特撮映画、特に本多猪四郎が与えた影響は否定できない。
海外ではイシロウ・ホンダは、アキラ・クロサワ以上に愛されている。しかし日本では地元の鶴岡でさえ知名度は高くない。ゴジラ公開70周年を来年に控え、ようやくこの偉大な監督を、再発見しようとする動きを盛り上げたい。
論説委員 小野 加州男