2024年(令和6年) 6月15日(土)付紙面より
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太平洋戦争中に東京都江戸川区から鶴岡市に4300人の学童が疎開してから今年で80周年。疎開を経験した荒木ひろさん(89)が13日、同区・鹿本小(奥村孝史校長、児童186人)を訪れ、体験を話した。同小と朝暘三小が姉妹校であることから、交流会が実現した。皆川治市長も同席した。
今年10月で90歳。茶道裏千家で荒木宋弘の師範名を持つ荒木さんは「抹茶には長生きできる成分があるのよ」とにこやかな表情だったが、世界では今も子どもたちが戦争の犠牲になっていることに「悲しいことです」と表情を曇らせた。
終戦前年の1944(昭和19)年8月、湯野浜温泉に学童疎開。当時10歳だった荒木さんら小松川第四国民学校の児童たちは上野駅を夜行で出発。鶴岡到着後は電車(湯野浜線)に乗り換え、山間の「龍の湯」旅館で教職員8人を含む123人の疎開生活が始まった。食料面では「鶴岡は悪くなかった。苦労した覚えはない」というが「湯野浜にも空襲があったんです。その時は山へ山へと逃げました」と恐怖の瞬間を語った。
45年8月終戦直前の旧盆のころ、旅館のトイレで父に遭遇した。「着物好きでオシャレだった父に間違いない」と先生に伝えたところ「会いに来たんだよ」と同意してくれた。だが再度トイレに戻った時に姿はなかった。その後、祖父が湯野浜を訪れ、父は同年3月、東京大空襲で熱さから逃れるため、旧中川に飛び込んだ際、溺死したことを知らされた。
そして同年10月、帰京した。これらの出来事を淡々と話す姿に児童たちは静かに聞き入っていた。
皆川市長は「80年の記憶を風化させず、学童疎開のことをつないでくれる江戸川区の試みに感謝したい」と話した。
鶴岡では8月10日に「平和の集い」が行われ、学童疎開の記録が上映され、朗読が行われる。
南国ムードで出迎え 皆川市長江戸川区役所へ
○…交流会の前日12日、皆川市長は江戸川区役所に斉藤猛区長を表敬した。同区は米国ハワイ州ホノルル市とも姉妹都市を結んでおり、ちょうど水曜日は週イチのアロハシャツ着用デー。南国ムードのお出迎えとなった。斉藤区長は「鶴岡はおいしい物ばかり。東京には名物が少ない分、鶴岡の物をパックして区の土産物として持ってもらうことがある」と話すと、皆川市長は作家・角野栄子さんの「魔女の文学館」が区内葛西に完成したことに「楽しみなものが増えましたね」と和やかに歓談した。