2024年(令和6年) 6月19日(水)付紙面より
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鶴岡市の国際交流センター「出羽庄内国際村」が開設30周年を迎え、記念イベントでは外国人によるのど自慢大会も好評だった。地方都市も国際色豊かになったということだが、その陰で人知れずに忘れ去られようとしている文化財もある。南米アマゾンの2万点を超す貴重な民族資料だ。
出羽庄内国際村に併設されていた「アマゾン民族館」が2014年3月に閉館して10年。市の行財政改革の一環という、いわば費用対効果という面からやむなく閉館したとも言え、併せて文化財の活用方法はどうあるべきかを、あらためて考えさせられる。
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「雪国になぜアマゾンが?」という疑問も湧く。それらは、鶴岡市の文化人類学研究者、山口吉彦さんが半生をかけて収集した民族資料ばかり。出羽庄内国際村開設の中心施設として、「貴重な資料を通じて子どもに夢を」と、市の肝いりでアマゾン民族館は開設された。資料の維持管理は、入場料収入だけでは賄えず、税負担も伴った。折からの旧民主党政権下で、事業仕分けと称した行財政改革を背景に、市議会の審議を経ての閉館だった。
山口さんが現地人と一緒に生活した信頼関係で入手した資料もある。絶滅の恐れがある野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約で入手できないものもある。閉館後、山口さんは自宅を改造するなどして保存・管理に当たっているが、何しろ資料が膨大で個人の資力では限界がある。
鶴岡市出身の作家、藤沢周平さんがエッセー『立ちどまる絵』(「ふるさとへ廻る六部は」)で、次のようなことを書いている。東京の名園・六義園 (りくぎえん)を見て「昔の大名は贅沢(ぜいたく)なものだったと思いながら園内を歩き、金と権力がないと残らない文化というものもあると感じた」と。六義園は江戸幕府の権力者の中屋敷の庭園として、財をいとわずに造られたのだろうか。対するアマゾン民族資料は、「金と権力」とは無縁の、個人の乏しい資力で収集したものばかりだ。そこにこそ資料の意義がある。
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南米アマゾンは森林の乱開発が進み、住民の生活環境の変化から伝統の文化財も失われている。鶴岡市は食文化創造都市を内外に発信する一方、出羽三山信仰とサムライゆかりのシルク、加茂地区の北前船寄港地・船主集落が日本遺産に認定されている。そうした中で、アマゾンという異文化を守るという事も、鶴岡市の「文化度」を発信することにならなかったのだろうか。
アマゾン民族館は「個人のコレクション的な物」に市が財政負担するのはいかがなものかという考えなどでの閉館だ。文化財を単に「費用対効果」で価値判断することなく、学校教育の一環という人づくりのために活用することはできなかったものか。それでこそ国際交流センターの機能も、より生きることになるのではないか。