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荘内日報ニュース


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2024年(令和6年) 1月9日(火)付紙面より

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「思いやり大切に」「向上心持って」 二十歳を祝う会 鶴岡市、遊佐町

 鶴岡市と遊佐町で7日、「二十歳を祝う会」が行われた。スーツや振り袖姿の二十歳の成人が参加し旧交を温めた。酒田市は大型連休に合わせて5月4日、三川町と庄内町はお盆期間の8月15日に予定している。庄内5市町の「二十歳を祝う会」の対象者は2412人(各市町まとめの合計)。

【鶴岡市】 対象は2003年4月2日から04年4月1日に生まれた1104人。荘銀タクト鶴岡で行われた式典では皆川治市長が「市立荘内病院の医師や看護師など6人で編成する災害派遣医療チーム『DMAT』が能登半島の被災地に向かったが、被災者のために頑張ってほしい。鶴岡の伝統を次世代に受け継ぎ、未来を創造していくためには皆さんの若い力が必要。それぞれの目標に向かって研さんすることを期待します」と式辞。衆院議員の加藤鮎子内閣府特命担当大臣と市議会の尾形昌彦議長がお祝いの言葉を述べた。

 「二十歳」を代表して藤島中卒の佐藤拓斗さん(法政大学スポーツ健康学部2年)は「まず能登半島地震で亡くなられた方のご冥福と被災者にお見舞いを申し上げたい。これから私たちは壁にぶち当たることもあると思うが、乗り越えられないものはないと思う。人とのつながりや思いやりを大切に力強く生きていきたい」と語った。

 会場では鶴岡市消防団の纏(まとい)隊が纏振りを、鶴岡土曜会混声合唱団が美しい歌声を披露した。式典後は各出身中学校単位で記念撮影し再会を楽しんだ。参加者は「中学以来5年ぶりに会った同級生も多いが、みんな当時と変わらない」「鶴岡市に戻って故郷に貢献したい」と話した。

【遊佐町】 町生涯学習センターで「二十歳のつどい記念式典」を開いた。対象110人のうち、81人が振り袖やスーツにネクタイなど人生の節目にふさわしい服装で出席した。

 時田博機町長が「立派な社会人として心身ともにさらに成長しながら、地域社会を明るく築く原動力になってくれるよう期待する」と式辞。地元選出参院議員、県議らの祝辞に応え、対象者を代表して式典実行委員長の菅原寛太さん(菅里、会社員)が「これからさまざまな場面で壁に直面し、悩み傷つくことがあると思う。決して一人ではなく、励まし合った仲間がいることを忘れずに、日々、自己の研さんに努め向上心を持って明るい未来へ歩んでいく」と謝辞を述べた。

 記念撮影終了後、会場を近くのパレス舞鶴に移してパーティーを開催。旧交を温め合った。

「二十歳の門出」を楽しむ参加者=荘銀タクト鶴岡
「二十歳の門出」を楽しむ参加者=荘銀タクト鶴岡

記念撮影までの時間を利用し参加者にさまざまな質問を投げ掛けた=遊佐町生涯学習センター
記念撮影までの時間を利用し参加者にさまざまな質問を投げ掛けた=遊佐町生涯学習センター


2024年(令和6年) 1月9日(火)付紙面より

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「酒田のラーメンの日」制定 10月9日 日本一PR観光誘客図る

 昨年10月に初めて開催された「日本ご当地ラーメン総選挙」で、初代王者に輝いた「酒田のラーメン」をさらにPRしようと、酒田市と酒田商工会議所、酒田のラーメンを考える会(齋藤直会長)は優勝が決まった10月9日を「酒田のラーメンの日」と制定した。同日前後1週間ずつを「酒田のラーメンウイーク」とし今後、具体的なイベント内容を検討するが、総選挙出品ラーメンの提供など行う方針。

 酒田のラーメンは、1926(大正15)年に中国人が伝えた「支那そば」が起こりとされ、煮干しやコンブ、トビウオの焼き干しなどでだしを取った、あっさりとしながらもこくのあるしょうゆ味が特長。スープとよくなじんで伸びにくい自家製麺、具材として添えられる極薄のワンタンも要素になっている。

 昨年6月中旬から約1カ月間にわたって行われたウェブ予選東北ブロックでは、日本三大ラーメンの一つとされる喜多方ラーメン(福島県)を抑えて1位で通過。東京・大久保公園で同10月5―9日に本選が行われた。実食した来場者による投票、会員制交流サイトの拡散数、日本ラーメン協会による抜き打ち現場チェックなど総合的に評価。その結果、他を圧倒する10440ポイントを獲得し、「酒田のラーメン」が日本一に輝いた。

 この快挙を受け先月中旬、考える会の会員店主らが同市のガーデンパレスみずほで関係者を集め、「感謝する会」を開催。矢口市長と加藤聡酒田商工会議所会頭、齋藤会長が急きょ、「優勝が決まった10月9日を『酒田のラーメンの日』と制定する」と宣言。同日前後の1週間を「酒田のラーメンウイーク」とすることも合わせて決めた。

 5日に行われた定例会見で、矢口市長は「『ラーメン県そば王国』の商標登録を申請した県、『ラーメンの日』を定めた山形市とも連携し、県を挙げてラーメンをPRできたら。特別メニューの提供などで観光誘客を図っていく」と話した。

 佐々木好信地域創生部長によると、第2回総選挙に関してレギュレーションの発表はこれからだが、実行委から既に「ディフェンディングチャンピオン」としての出店依頼が来ているという。「ラーメンの日、ラーメンウイークともどのような形で行うか、これから具体的に検討していきたい」(佐々木部長)という。

第1回総選挙表彰式でトロフィーを受け取る齋藤会長(右)。酒田市は優勝が決まった10月9日を「酒田のラーメンの日」に制定=昨年10月9日、東京・大久保公園(酒田市提供)
第1回総選挙表彰式でトロフィーを受け取る齋藤会長(右)。酒田市は優勝が決まった10月9日を「酒田のラーメンの日」に制定=昨年10月9日、東京・大久保公園(酒田市提供)


2024年(令和6年) 1月9日(火)付紙面より

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庄内からも支援物資 能登半島被災地へ 仮設機材工業ブルーシート 1000枚を酒田JCに託し贈る

 石川県などを襲った能登半島地震を受け、建築材料卸売業の仮設機材工業(酒田市こがね町一丁目、西村修代表取締役)は、被災地で不足しているブルーシート1000枚を寄贈することにし6日、支援物資の取りまとめを行っている同市の酒田青年会議所(酒田JC、阿部祝允理事長)に託した。

 酒田JCは今月3日に災害対策本部を立ち上げ、5日から団体や市民に義援金や支援物資などの協力を呼び掛けている。同社は呼び掛けにいち早く賛同し、ブルーシート寄贈を決めた。

 この日は雨が降る中、同社員がフォークリフトを使ってトラックにブルーシートを積み込んだ。社員らは「被災地のために自分たちができることを考え、支援を決めた。少しでも被災者の助けになれば」と。阿部理事長は「協力依頼にいち早く応え、大きな支援をくれたことに感謝したい」と話した。

 酒田JCによると、このほかにも簡易トイレや粉ミルクといった支援物資が集まっているという。8日までに集まった物資は、取りまとめている泉青年会議所(仙台市、泉JC)に第1弾として送り、被災地に届けられる。

 阿部理事長は「被災した皆さんが日常の生活を送ることができる日が来るまで支援は必要と思う。できる範囲の中で協力をお願いしたい」と話し、酒田市緑町のJC会館で義援金・支援物資の受け付けを行っている。募金箱を設置しているほか、衣類や毛布を除く支援物資の持ち込みは平日午前10時―午後2時に窓口まで。問い合わせは酒田JC=電090(5188)8964=へ。

 一方、日本青年会議所東北地区山形ブロック協議会は7日、県内15の各青年会議所と協力して集めたカップ麺やレトルトカレーなどの非常食のほか、紙おむつ、飲料水などの支援物資を泉JCに送った。


酒田、鶴岡商議所 青年部も活動

 酒田、鶴岡の両商工会議所青年部は5日、日本商工会議所青年部が立ち上げた対策本部からの呼び掛けに応じて、能登半島地震被災地へ向け支援物資を送った。このうち鶴岡商議所青年部は飲料水15ケース、カップ麺5ケース、缶詰6ケースを乗用車に積み、尾川勝洋会長らが中継地点の新潟県上越市に運んだ。

ブルーシートをトラックに積む仮設機材工業の社員
ブルーシートをトラックに積む仮設機材工業の社員


2024年(令和6年) 1月9日(火)付紙面より

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考 ゴジラに本多監督の信念を見た

 正月、やっと映画「ゴジラ―1・0」(マイナスワン)を見た。今年は1954年11月の第1作公開から70年。シリーズ30作目。一時期 、多彩な怪獣を登場させて娯楽色を濃くしたが、最新作は「反戦反核」という、第1作の「原点」に戻ったとの印象が濃い。

 映画は太平洋戦争末期、南の島にあった守備隊航空基地に、島民が「呉爾羅(ごじら)」と呼ぶ伝説の怪獣が現れる。その時のゴジラは、米国版映画で登場した、恐竜・ティラノサウルスを連想させる姿と似ている。戦争が終わった後、水爆の放射線を浴びて進化したゴジラは、より凶暴な“本来の姿”になって東京に現れた。



 初期作は、深海で太古からの眠りに就いていたゴジラが、水爆実験で安住の地を追われ、東京で大暴れする。「(ゴジラは)人の身勝手な行為は許されない」ことを諭しに来たことを描いている。

 第1作で、大暴れしたゴジラが静かに海に戻っていくラストシーンがある。この時、「人間が悪い事をする限り、ゴジラは必ず帰って来る。ゴジラは1匹ではない」と、志村喬演じる古生物学者・山根恭平が語る。最新作のラストシーンで、撃退されたゴジラが海底に沈んでいく。しかし沈みながらゴジラの体が再生していくような場面が、一瞬描かれている。山根博士の「ゴジラは1匹ではない」との警告を、ラストシーンに込めたのではないか。



 第1作を作った鶴岡市朝日地域出身の本多猪四郎監督は、著書『「ゴジラ」とわが映画人生』で次のように述べている。「水爆みたいなものを考えた人間が、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが滅びる。科学というものは必要だが、使うことは相当慎重でなければ、人間を危険にさらすだけ」と。

 本多監督は戦地から引き揚げる際広島を通った。原爆投下の惨状が脳裏から離れず、さらに日本のマグロ漁船が水爆実験で被ばくしたことで「反戦と反核」の訴えを第1作に込めた。初期作品は手作り模型による「特殊撮影技術」を駆使したのに比べ、VFX(現実では見られない画面効果技術)を用いた新作の映像の描写力と迫力は、音響効果と併せて圧倒される。

 前作「シン・ゴジラ」は、政府官邸と全ての省庁挙げて情報戦の様相だったが、新作では、政府は介在しない。敗戦で日本に強力な武力はなく、旧海軍の民間人有志らが立ち向かう。

 「未来に生きるため」ゴジラに挑む中で、「人間の絆」と「信頼」を作品は描いた。ゴジラ―1・0でも根底を貫くのは本多監督が望んだ「平和」への希求。娯楽映画だが、重いメッセージが込められている。

論説委員 粕谷 昭二


2024年(令和6年) 1月9日(火)付紙面より

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食べやすい料理で102歳祝う 「嚥下食」の誕生会 鶴岡・サテライト老健のぞみ

 誤嚥(ごえん)リスクが高かったり、食べ物をかんで飲み込むことが難しい人のために作られた「嚥下(えんげ)食」による誕生会が4日、鶴岡市日枝のサテライト老健のぞみで開かれた。地元の食材を用い、食べやすいように工夫された刺し身の舟盛りや和洋折衷おせち料理、誕生日ケーキなどが、同施設で102歳の誕生日を迎えた入所者とその家族に提供された。

 昨年11月から始まった嚥下食プロジェクトの一環で、市内の医療関係者や料理人などでつくる「鶴岡食材を使った嚥下食を考える研究会」に所属の「ブランブランガストロパブ」(末広町)の五十嵐督敬さん(38)、「日本料理わたなべ」(野田目)の渡部賢さん(46)の2人が協力し、施設を運営する老人保健施設のぞみの園の管理栄養士や歯科衛生士、言語聴覚士などの医療福祉の専門職らと協働した。

 食材を細かくすりつぶした上で改めて成形したり、とろみをつけるなど、食べやすさと見た目の良さの両方を追求して仕上げられた料理に、主役の服部朝子(ともこ)さんは満面の笑みで喜びを表した。この日、東京から面会に来た孫の藤原綾子さんは「テレビで同施設の嚥下食プロジェクトを知り、相談したところ快諾いただき感謝。地元庄内の食べ物が大好きな祖母のために協力してくれた皆さんの温かい気持ちがうれしい」と喜んでいた。

 同施設の看護師・高山典子管理課長は「食事すると熱発し、ゼリー状の食べ物しか摂取できない状況が続いていたため、リスク管理に不安はあったものの、できる限りのおもてなしがしたかった」と話した。同研究会による嚥下食の提供は、「うしお荘」「ブランブランガストロパブ」「日本料理わたなべ」「ナチュラリテ」の4店舗で予約可能という。

地元食材を使った嚥下食による102歳の誕生日会=鶴岡市・サテライト老健のぞみ
地元食材を使った嚥下食による102歳の誕生日会=鶴岡市・サテライト老健のぞみ



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