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荘内日報ニュース


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2024年(令和6年) 11月27日(水)付紙面より

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元気いっぱいに書道 大山保育園 書き初め展示へ教室

 鶴岡市大山二丁目の大山保育園(高橋亨園長、園児171人)で25日、恒例の書道教室が開かれた。園児たちが筆の使い方や運び方を学び、力いっぱい課題の「つり」の字を練習した。

 同園の書道教室は、床に座って筆で字を書く日本の作法を子どもたちから学んでもらおうと、2006年から行われている。2022年から鶴岡書道会(山本良伸会長)が指導を担当している。

 この日、近くの分園を会場に年長組の園児38人が参加。山本会長を含め会員6人が指導した。筆を初めて持つ園児がほとんどで、墨汁やすずり、文鎮など書道具の使い方から説明を受け、筆の持ち方や余分な墨を払う方法なども学んだ。

 初めに手本を見ながら横線、縦線、「○」を書く筆遣いの練習が行われた。「紙を手で触ってつるつるした方が表」「字を書く時は筆を真っすぐに立てて」と教わりながら、園児たちはおっかなびっくり筆を進めた。

 続いて課題の「つり」の字を練習。会員から「しっかりと筆を止め、最後はスッと流れるように」と指導を受けながら、園児たちは真剣なまなざしで筆を動かしていた。大井慈斗君(6)は「道具を見たことはあったけど筆を持ったのは初めて。『り』の字が難しかった」と話していた。

 園児たちの作品は来年1月上旬に大山コミュニティセンターで、同下旬に鶴岡書道会書き初め展(鶴岡アートフォーラム)でそれぞれ展示される。

年長組の園児たちが「○」の文字や縦横線を書き、筆遣いを学んだ
年長組の園児たちが「○」の文字や縦横線を書き、筆遣いを学んだ


2024年(令和6年) 11月27日(水)付紙面より

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大雨被害の記録写真公開 酒田市HP 市民撮影120点マップに

 今年7月の記録的大雨に関して甚大な被害が出た酒田市は25日、インターネットの市地理情報システム(通称・さかたまっぷ)で市民が撮影した被害状況を記録した写真の公開を開始した。

 市ホームページ(HP)上に掲載する「さかたまっぷ」は、▽公共施設▽教育・文化▽健康・医療▽防災▽商業・観光▽くらし▽道路網図―など10項目に分類し、目的の情報を選択すると酒田の地図が表示され、そこに示されたアイコンをクリックすると名称や住所などが分かる仕組みになっている。

 市は今回、広く市民から被害の状況を知ってもらい、同様の災害発生時に役立ててもらおうと、市公式LINEで10月から、7月25―31日に撮影した写真を募集。今回は10月15日までに寄せられた約120点の写真と、▽道路冠水▽河川越水▽土砂災害▽その他―の4種別、撮影日時、投稿者の説明文を紹介している。

 記録写真は、「さかたまっぷ」の「市民共創」カテゴリー内にある「令和6年7月大雨災害の被害写真マップ」に収納。市は今月30日まで記録写真を募集しており、市公式LINEの基本メニューにある「大雨災害の写真を募集中」から投稿する。

「さかたまっぷ」で公開している大雨災害の記録写真
「さかたまっぷ」で公開している大雨災害の記録写真


2024年(令和6年) 11月27日(水)付紙面より

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日吉町の「道真様」遷座 荘内神社境内へ 天満大自在天神社の新社

 鶴岡市日吉町で長らく地元住民から親しまれてきた「天満大自在天(てんまんだいじざいてん)神社」が同市内の荘内神社(石原純一宮司)境内へ移され25日、荘内神社で遷座祭が行われた。日吉町の住民有志などが参列し、昔から伝わるご神体の菅原道真像を新しい社にお迎えした。

 天満大自在天神社は、500年ほど前の16世紀ごろに最上家重臣で六軒小路に住む早田理右衛門が、大宰府天満宮より白梅と共に御神霊を勧請したとされる。学問の神や雷神として神格化された道真公を祭るのが天満大自在天神社であり、学業成就や受験合格、疫病退散などのご利益があるという。

 1622(元和8)年、酒井忠勝公が信州松代から庄内に入部した際、領内で行列を進めていると小路の奥に梅の古木と天満宮があることに気付き、祭典の日には毎年欠かさず家臣を代参させていたという。

 時代は移り1962(昭和37)年、天満大自在天神社がある土地を山形銀行が取得し、同行鶴岡駅前支店が設置された。翌年、日吉町有志が天神講を組織し、毎年5月25日の祭典は多くの参拝者でにぎわった。

 その後、鶴岡駅前支店が鶴岡支店(本町二丁目)内に移転し、2022年に鶴岡駅前支店跡の敷地を石庄建設(鳥居町)が取得した際、老朽化した同神社社殿の維持管理が問題となった。天神講、山形銀行、石庄建設の3者は、酒井家の縁で天満大自在天神社の祭事を務めてきた荘内神社の石原宮司に相談したところ、荘内神社境内へ遷座し末社として継承することになった。

 今月初め、荘内神社宝物殿西側に新しい社殿が建立され、向かって左側には荘内神社と親交がある岩津天満宮(愛知県岡崎市)から贈られた紅梅が植えられた。来春には太宰府天満宮から白梅が届けられるという。また、阿部多グループ(鶴岡市文下)が創設100周年記念事業の一環として朱色の鳥居を寄贈した。

 遷座祭には日吉町の住民や山形銀行鶴岡支店関係者、天満大自在天神社の責任役員など20人余りが参列。神職や崇敬者などによる行列が斎館を出発し、新しい社殿へ道真像を運んだ。社殿前で神事が行われ、石原宮司が祝詞奏上。関係者が玉串をささげ、神様の“引っ越し”を祝った。

 石原宮司は「新しい社殿の向こうには致道館高校が見える。学業成就のご利益もあるので多くの方にお参りしてほしい」と話した。

天満大自在天神社が荘内神社境内へ遷座され、新しい社殿の前で神事が行われた
天満大自在天神社が荘内神社境内へ遷座され、新しい社殿の前で神事が行われた


2024年(令和6年) 11月27日(水)付紙面より

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「鶴岡灯油裁判」提訴から50年

 「ゾウを倒そうとするアリ」―と例えられた「鶴岡灯油裁判」。主婦が石油連盟と石油元売りの大企業を相手に、最高裁まで争った「損害賠償請求訴訟」である。確定まで15年の年月を要したが、結果は敗訴だった。北国で、冬の暖房に灯油は欠かせない。大企業が価格協定を結んで値段をつり上げたことで、庶民の暮らしは窮した。その裁判の提訴から、今月は50年の節目に当たる。

 1974年11月22日に提訴した裁判は、一審で敗訴、控訴審で逆転勝訴、89年12月、最高裁で敗訴が確定した。原告は鶴岡生協(現生活協同組合共立社)の組合員1654人。全国初の「主婦たちの灯油裁判」と称され、消費者保護を大企業に求めた裁判だった。

     ◇       ◇

 『ドキュメント 主婦たちの灯油裁判』の後書きに、次のような記述がある。「企業を基軸とした『企業社会』の中で、消費者・生活者の権利が踏みにじられていることを、灯油裁判は世に問うてきた」などと。灯油裁判は、日常生活で灯油がなくて困っていることを解決するということだけでなく、社会全体の問題として闘ったことに意義があったとされる。

 北海道で72年に始まった灯油不足は、徐々に各地に広がり、73年には東北や関東まで拡大。さらに第1次石油危機となって、狂乱物価と、物不足を引き起こした。当時、灯油は18リットル約280円から同450円に跳ね上がった。トイレットペーパーや洗剤などを買い求める人々が、スーパーに長蛇の列を作った。50年も前のことであり、記憶にとどめている人も少数派になりつつあるのではないだろうか。

 原告となった主婦たちが、不当な値上げ分として元売り企業に返還を求めたのは総額約390万円、原告1人当たり約2350円。生協から共同購入している灯油が値上がりし、品不足もあって主婦たちは一升瓶に分け合って寒さをしのいだ。今、その時のような生活を求めることは考えられない。しかし資源を大切に使う精神は持たねばならない。

     ◇       ◇

 72年当時の18リットル=約450円と、現在の同2000円前後を単純に比較はできないが、雪国で灯油は米と同じで、なければ命に関わる点は今も同じだ。ただ、現在は化石由来の燃料を使うことが、地球温暖化の原因になっていることが問題視されている点で、大きく異なる。

 鶴岡灯油裁判で、それまで裁判とは無縁だった主婦が、地裁鶴岡支部の前を埋め尽くした。一審で価格協定の一部は認定されたが敗訴、控訴審で逆転勝訴するが、最高裁は原告に損害の立証を求めるなどもあって、訴えは退けられた。消費者保護を訴えた鶴岡灯油裁判は提訴からちょうど50年。足掛け15年に及んだ裁判のことは、決して忘れてはならない消費者行動だった。

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2024年(令和6年) 11月27日(水)付紙面より

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八幡地域に伝わる在来野菜を利用 「秋の酒南塩ラーメン」 食育調理コース生有志「日向里かふぇ」で提供

 酒田市上黒川の日向コミュニティセンター内にあるコミュニティカフェ「日向里(にっこり)かふぇ」で23日昼、酒田南高校(齋藤法明校長)食育調理コースの生徒有志が同市八幡地域に伝わる在来作物などを素材に考案した「秋の酒南塩ラーメン」を提供。店内に「おいしい」という声があふれた。

 地域住民と市、市とパートナーシップ協定を結ぶ良品計画(東京都)の3者が連携し整備、運営を行い、地域の交流・活性化拠点として、飲食、手工芸品などの物品販売やイベントを展開している日向里かふぇ。同コースで学ぶ生徒有志は同市などで人気ラーメン店を手掛ける「もっけだのフードサービス」社長で同校OBの齋藤晴紀さんが全面的に監修した「酒南塩ラーメン」を2022年冬から日向里かふぇで定期的に提供している。

 秋の塩ラーメンは、八幡産「はえぬき」をブレンドした特製米粉麺、鳥海山の伏流水を含む海水を煮詰めて製造した「さかたの塩」、庄内産「鯛(たい)干し」を使用したスープとともに、孟宗竹から作ったメンマ、キクラゲ、長ネギ、ショウガなどの具材も地元産にこだわっており、八幡地域の在来作物「升田かぶ」をすりおろしてトッピングしているのが最大の特徴。清涼感のある香りと辛みがラーメンの後味をスッキリさせる。今年は同コースの生徒4人が升田かぶの収穫作業に初めて携わったという。

 この日は食育調理コースの2、3年生22人が朝から下ごしらえ。午前11時のオープン前から行列ができ、1杯600円、限定100食のラーメンは飛ぶように売れた。

 家族7人で訪れた同市亀ケ崎五丁目の大井幸春さん(55)は「チャーシューも柔らかく、麺の食感も良くておいしかった。トッピングの岩のりもスープに合い、調理の丁寧さを感じた」と話した。

 升田かぶの収穫を初めて体験したという高橋孝多さん(16)=2年、同市升田=は「在来野菜を栽培する農家さんの大変さ、ありがたさを改めて実感した。準備は大変だったが、『おいしい』の声を聞いて頑張って取り組んできて良かった。来年も食べてもらう人のことを考え精いっぱい取り組みたい」と話した。

 酒南塩ラーメンは30日(土)にも日向里かふぇで100食限定で提供する。

「酒南塩ラーメン」に舌鼓を打つ市民たち=23日
「酒南塩ラーメン」に舌鼓を打つ市民たち=23日

人気を博した「酒南塩ラーメン」。升田かぶのトッピングが特徴
人気を博した「酒南塩ラーメン」。升田かぶのトッピングが特徴



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