2024年(令和6年) 11月30日(土)付紙面より
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酒田市出身で大相撲十両の北の若関(24)=八角部屋=の激励会が28日夜、同市のガーデンパレスみずほで開かれた。東十両筆頭で迎えた今年最後の九州場所は9勝6敗と勝ち越し、来年初場所での再入幕が期待される中、後援組織「北の若を応援する会」の会長を務める矢口明子酒田市長らの激励を受けた北の若関は「いろいろな経験を積むことのできた一年だった。来年は幕内に定着したい」と意気込みを語った。
北の若は2019年3月の大阪場所で前相撲デビュー。稽古を重ね着実に力をつけて21年初場所で十両昇進。東2枚目と好位置で挑んだ23年秋場所で勝ち越し、次の九州場所で新入幕を果たした。最高位は24年大阪場所の西前頭14枚目。端正なルックスもあって若手のホープとして注目されている。
この日の激励会は応援する会が主催し、会員約100人が参加した。大ファンで酒田海洋少年団長を務める鈴木兵一さん(同市)による相撲甚句にのって北の若関が入場。角界入りのきっかけをつくってくれた恩人で11月12日に亡くなった北の富士勝昭さん(第52代横綱)に出席者全員で黙とうをささげた後、矢口市長が「今年7月の記録的大雨の際は応援メッセージを頂き感謝。来場所は幕内に上がる。さらに上を目指し頑張ってほしい」と激励した。
副会長の加藤聡酒田商工会議所会頭、支援・後援する企業や個人、いわゆる「タニマチ」として支える「北の若を支援する会」の新田嘉七平田牧場社長らが激励金や激励品を贈呈。これを受けて北の若は「十両優勝はかなわなかったが、皆さんに良い成績を報告することができ、ほっとしている。私の誕生日でもある11月12日に亡くなった北の富士さんのメッセージを胸に、より一層気を引き締め相撲道に精進していく」と力強くあいさつした。
新田社長の発声で乾杯。出席者は北の若の今年一年の労をねぎらいながら相撲談義に花を咲かせた。
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山形大学農学部(渡部徹学部長)が中心となって取り組んでいる循環型農村経済圏(庄内スマート・テロワール構想)で生み出した「スマテロ食品」が充実してきた。これまで商品化したのは庄内豚のベーコンやあらびきウインナー、庄内産小麦を使った鶴岡名物の麦きりなど7品。来年1月には生パスタと餃子の皮が新商品としてラインアップに加わる予定だ。
庄内スマート・テロワール構想は、庄内というエリアの中で「農」と「食」を循環させ、持続可能な食糧自給を目指す。山大農学部や生産農家、加工食品会社、飲食店、地元スーパーが「ワンチーム」になり2016年に本格スタートした。
庄内産小麦「ゆきちから」は鶴岡市の羽黒・藤島・西郷地域を中心とした農家が栽培。地元食品会社などが収穫した小麦を使って中華麺や麦きりに加工して販売している。庄内産大豆の「スマテロ納豆」は鶴岡市の主婦の店と酒田市のト一屋で定期的に販売しているが毎回売り切れる人気商品だ。
年明けに売り出すのが生パスタと餃子の皮。富樫製麺(鶴岡市神明町、富樫拓也代表取締役)が庄内産小麦を原料に開発した。いずれも無添加にこだわりモチモチとした食感と小麦の味が楽しめるよう仕上げた。今のところ地元スーパーと産直施設で販売を予定する。
富樫代表取締役は「特に生パスタは庄内産ゆきちからの配合をどのようにすればおいしくなるか、鶴岡南銀座通りのレストラン『ハレトケ』さんと一緒になって試食を繰り返し、黄金比率を引き出した。これからも地元農家が栽培した作物を地元で消費する取り組みに協力していきたい」と話した。
山大農学部の浦川修司教授は「スマテロ食品は生産農家や民間企業の協力を得て開発してきたが、だいぶ出そろってきたな、という感はある。これからも循環型農村経済圏の社会実装を進めていきたい」と語った。来年の夏には庄内豚の「スマテロ生ハム」がデビューする。
2024年(令和6年) 11月30日(土)付紙面より
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いよいよ年の瀬。普段に増して飲酒の機会が多くなるが、酒を飲んで車を運転することはもちろん厳禁。そして車だけでなく、改正道路交通法によって、11月1日から自転車の酒気帯び運転も厳罰化された。これまでは「酒気を帯びて運転してはならない」との規定はあったが、罰金や懲役が科されることになった。酒類の提供者も同様の扱いになる。
飲酒運転で事故を起こせばその後の人生が暗転する。仕事を失うことがあれば、生活が立ち行かない。アルコールと酔いの状態には個人差があるが、ビール1本、日本酒1合で陽気になって判断力が鈍るという。飲酒量にかかわらず、とにかく飲んだら自動車も自転車も乗ってはならない。
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街にジングルベルがにぎやかに流れ、一年を振り返ろうという忘年会も多くなる。忘年会に限らず、仕事帰りに飲酒する機会も多いが、酒は注意力を鈍らせる。山形県警の調べで、2024年10月末現在、自動車を飲酒運転して検挙された者は40人(鶴岡署管内19人、酒田同18人、庄内同3人)で、県全体の約27%を占めている。検挙件数は土曜と日曜に多い。週末は気が緩むのだろうか。
これまでは「飲んだら車に乗れないから、自転車で行こう」という人もいただろう。しかし、自転車の酒気帯び運転の罰則は「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」に厳罰化された。自転車に乗ると知って酒を提供したなどの場合も懲役や罰金が科される。自転車事故による重大事故も起きている。「自転車も飲んだら乗らない」を、固く心に刻まねばならない。
改正道路交通法で、スマートフォンを見ながら自転車に乗る「ながらスマホ」も取り締まりの対象になった。ながらスマホでは、つい視線はスマホに集中してしまう。もちろん前方の状況にも視線が注がれているとしても、注意力が散漫になっていては、自転車と言えども安全な運転はできない。「自分は大丈夫」と思うのは過信だ。
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自転車でのながらスマホが減らないのは、危険であることを十分認識していないせいだろうか。街の中ではスマホを握り締めている人が目立つ。いっときも手放せないのは、あふれる情報を見逃してはならないという意識が働いているのか、それとも体の一部として溶け込んでいるためだろうか。だが、ながらスマホは危険だ。
都会のように公共交通機関が整備されていない地方は、車に頼らざるを得ない。もちろん自転車も。だが飲酒で運転免許を取り消され、運転できなくなった時の生活の“損失”を考えれば飲んだら乗らないは鉄則。タクシー代や運転代行の料金も飲み代のうちとして用意しておくのが賢明だ。車代を惜しんで取り返しがつかなくなる事態を避けるためにも、飲んだら乗らないは、社会の決まり事だ。
2024年(令和6年) 11月30日(土)付紙面より
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今年7月に発生した記録的大雨の被災者支援に向け、酒田市の鳥海八幡中学校(田中大校長)の1年生6人が27日夕、市八幡総合支所を訪れ、総合学習の中で取り組んだフリーマーケットの売り上げ約2万円を義援金として同市に寄付した。
同校1年生は本年度、総合学習でグループに分かれ、八幡地域各地区の地域おこし活動に取り組んでいる。このうち、本楯地区を担当した生徒6人は、リサイクルや資源の循環から地域活性を図ろうと、同地区で毎年秋に開催する「本楯コミセンまつり」でのフリーマーケットを企画。チラシを制作するなど地区住民に協力を呼び掛けた。
今月3日に市本楯コミュニティセンターで行われたフリーマーケットでは、住民から集まった食器、衣類、日用品、おもちゃの販売のほか、生徒たちが収穫したサツマイモの詰め放題やスイートポテトのプレゼントを実施し、約2万円を売り上げた。
この日、生徒たちは引率教諭と共に同支所を訪問。グループリーダーを務める兵藤紫月さん(13)が「被災した人たちのために使ってください」と池田裕子支所長に義援金を手渡した。
池田支所長は「被災に遭った人たちを思い、自分たちで考え行動してくれたことがなによりうれしい」と感謝を述べた。グループの一人、杉山陽菜乃さん(12)は「自分たちの活動が少しでも被災した人たちの力になれたら。これからも自分たちでできることを考え、活動したい」と話した。
2024年(令和6年) 11月30日(土)付紙面より
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奥州藤原氏の重臣として庄内南部一帯を治めた武将「田川太郎行文(ゆきぶみ)」の縁で、鶴岡市の田川地区と岩手県一関市東山町田河津(たこうづ)地区の相互訪問交流が実現した。両地区には、源頼朝の鎌倉軍勢と戦い討ち死にした行文の墓の伝承があり、「田川」は一関の田河津の地名の由来ともされている。昨秋の田川地区住民による初の田河津訪問をきっかけに、田河津住民による田川地区の視察研修が今秋に行われ、田河津から持参した土を行文の墓にかけ、行文と田川一族を弔った。
田川氏一族は平安時代後期、郡司に任命され、田川地区を拠点に栄えた豪族。源義経追討の命から起こった奥州藤原氏と源頼朝の鎌倉軍が争った1189(文治5)年の奥州合戦で、藤原氏4代泰衡(やすひら)の重臣だった行文は、新潟を経て鼠ケ関から進軍してきた比企能員(ひきよしかず)ら鎌倉軍の軍勢に敗れて討ち死にし、一族は滅亡したとされる。
行文の家臣・曽我三郎は、さらし首にされた行文の首をひそかに持ち帰り、藤原氏の拠点・平泉が一望できる束稲(たばしね)山の麓に埋めた。この場所が「田河座」と呼ばれ、現在の田河津の地名になったとされる。さらに、行文を弔うために庵(いおり)を結んだ場所に曽我寺という寺が建立されたと伝えられている。
田川地区には行文の墓や田川氏一族の墳墓群、館跡などが残り、田川地区自治振興会(三浦総一郎会長)は田川太郎の歴史にスポットを当てた地域づくりを進めている。こうした中で行文とつながる田河津の歴史を知り、昨年10月に田川地区の関係者が田河津を訪れた。この際、田川地区から両地区の相互交流が提案された。
田河津からの一行は、田河座や曽我寺址がある矢の森自治会(菅原理会長)の有志22人で、先月26日に田川地区を訪問。行文の墓や一族の墳墓群などを訪れ、曽我寺址から持ってきた土をかけ、読経して手を合わせた。両地区にはそれぞれ代々受け継がれている「墓守」の家があり、田川の齋藤家と田河津の千葉家の関係者も初対面した。
引き続き交流会が田川コミュニティセンターで開かれ、両地区の関係者が懇談。互いに800年の時を超えた縁に思いを巡らせ、東北の地で栄華を誇った奥州藤原氏にまつわる歴史ロマンが結ぶ親交を深め合った。
初めて田川一族の本拠地を訪れた矢の森自治会の菅原会長は「田河座の土を行文の墓にまいて首と胴体を一つにして供養することができ、齋藤家と千葉家の歴史的対面も実現できた。とても良い交流ができた。地元の若い人たちにも800年の時を超えた歴史ロマンをきっちりと伝えていきたい」と話した。
2024年(令和6年) 11月30日(土)付紙面より
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第59回田川児童生徒図画作品展と第28回田川地区中学校美術部員展が29日から鶴岡アートフォーラムで始まった。前日には鶴岡・田川地区の小中学校の美術教諭らが集まり、研修会が行われた。
本年度の作品展には幼稚園・保育園10園82点、小学校36校490点、中学校15校253点と中学校の美術部員の作品、合わせて約900点が出品された。夏休みにプールで泳いだり、花火を見た思い出を描いたものや、絵本などを読んだ感想画、空想画、風景画など、伸び伸びと描かれた作品に、訪れた人たちもじっくりと見入っていた。
28日の研修会では、仙台市の尚絅学院大学心理・教育学群子ども学類の相馬亮学類長が展示作品を見ながらギャラリートーク。その後、大会議室で指導法などについて講義。幼児、小学生、中学生と発達段階に合った指導が必要で、自分が楽しむ幼児期を経て、小学校の中学年ぐらいでは写実的な作品を描くようになるので、観察することの大切さを学ばせるようアドバイスしていた。
展示は12月1日(日)までの午前9時半から午後5時まで。