2023年(令和5年) 10月15日(日)付紙面より
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みずほ銀行宝くじ部は13日、今月5日に抽選があった数字選択式宝くじ「ロト6」で、鶴岡市美咲町の売り場「鶴岡パルチャンスセンター」から1等2億円が出たと発表した。
同売り場の女性販売員によると、各種宝くじを求めに1日当たり平均100人ほどが訪れるという。高額当選が出た今回の第1833回ロト6は10月3―5日に販売され、1等は全国で1口だけだった。同売り場では今年に入り、ロト6で2月に2等987万円、8月にも2等114万円の「大当たり」が出ている。販売員は「今年は高額当選が続いていてチャンスかも」と話した。14日に同売り場を訪れた人たちは高額当選を知り、「本当ですか」「すごい。幸運にあやかりたい」などと驚いていた。
同市ほなみ町の売り場「鶴岡南マックスチャンスセンター」では、2019年のサマージャンボ宝くじで1等7億円(前後賞含む)が出ている。
2023年(令和5年) 10月14日(土)付紙面より
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庄内町・乗慶寺
佐藤中将墓参し献花
太平洋戦争時、多くの日本兵が犠牲となったインド北東部での「インパール作戦」に従軍した元日本兵・佐藤哲雄さん(104)=新潟県村上市=と、英国軍第2大隊所属の元軍人リチャード・ディさん(97)が庄内町を訪れ12日、同町の乗慶寺(阿部伸世住職)にある同作戦で指揮を執った旧余目町出身の佐藤幸徳中将(1893―1959年)の墓参を行った。同作戦で戦火を交え、79年の時を経て会談した元日本兵と元英国軍人の2人は佐藤中将の墓前で握手を交わし、不戦の誓いを新たにした。
インパール作戦は1944年1月、当時英国が支配していたインド北東部攻略のため旧日本軍が進軍した作戦。佐藤中将は第31師団を指揮。戦況悪化による補給物資の不足から飢餓や赤痢、マラリアなどで苦しむ将兵を救うため、司令部の命令に死刑覚悟で抗命。師団全軍の撤退を決断し、約1万人超の日本兵の命を救った。同作戦に旧日本軍は3個師団約10万人が参加。戦死者は約3万2000人超といわれ、その多くが餓死だった。
今回同町を訪問したのは、佐藤さんとその家族ら4人と、リチャードさんのほか父親が佐藤中将の部下で、日英交流に尽力し度々来庄している「ビルマ作戦協会」のマクドナルド昭子会長(72)ら6人。英国側から墓参の打診があり、地元の有志でつくる「インパール友好交流実行委員会」(奥山賢一実行委員長)が準備を進めてきた。
この日、同寺で行われた法要墓参には関係者約30人が参列。同作戦で犠牲となった両国の兵士らに対し読経が行われた後、2人は車椅子から立ち上がって笑顔で握手を交わし、今日までのお互いの無事を喜び合った。マクドナルド会長が「2010年に初めて佐藤中将の墓参をした時に、父を生かして帰してくれたことに感謝を伝えた。父が生きていなければ自分は生まれてこなかった。私の命がここにつながっていると強く感じた」と涙ながらにあいさつ。引き続き、同寺境内にある佐藤中将の墓前に佐藤さんは献花、リチャードさんらは花輪を供え、静かに手を合わせた。佐藤さんは「佐藤中将からは慈愛にあふれた言葉を頂き、親と思っている。今はロシアとウクライナが戦っているが、インパールのような悲惨な戦争は二度としないよう皆の力で努力していきたい」、リチャードさんは「私は誰にも敵意を持っていない。インパールも随分昔の話になった。私たちは友達で他の人と同じように私も平和を求めている。来年もここに来て再び佐藤さんとお会いしたい」と話し、2人は再び固く握手を交わした。
英国の一行は13日には東北公益文科大学を表敬訪問。学生らと戦争や平和について対話を行い、山居倉庫や出羽遊心館などを見学。14日午前に陸路で本県を離れる。
2023年(令和5年) 10月14日(土)付紙面より
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庄内地域産業振興センターと国立がん研究センター鶴岡連携研究拠点がんメタボロミクス研究室・牧野嶋秀樹チームリーダーによる研究グループは、悪性がんの小細胞肺がんにおけるプリン核酸生合成の代謝特性に関する論文を米国がん学会の機関誌「Molecular Cancer Research」で発表した。掲載日は9月29日。論文の執筆には同研究室の若手研究員や研究補助員が関わった。難病のがん克服のため日夜研究を続ける若手研究員の2人を紹介する。
論文に関わったのは、国立がん研究センター鶴岡連携研究拠点がんメタボロミクス研究室の研究員・田畑祥さん(42)と、研究補助員の成田美優さん(26)。
田畑さんは鹿児島県出身。徳島県の大学を卒業後、薬剤師などを経て慶應義塾大で助教や講師として教壇に立った。海外留学や大阪大講師など務め、今年4月に国立がん研究センターへ。以前、慶應義塾大先端生命科学研究所に在籍し長く鶴岡市に住んでいたこともあり、「久しぶりに古里へ戻ってきた気分になった」と笑う。
先端研にいたころからがんの代謝の研究を続けてきた。「国内外でがん代謝の基礎研究を続けてきて、国立がん研究センターが臨床に近い位置で研究できることが分かった。メタボローム解析を活用し、さまざまな分析、実験を通して患者の治療に貢献できるような、より実践的な研究をする環境が整っている」と話す。
一方、成田さんは青森県出身。弘前大、同大大学院卒業後、研究技術員関連の派遣会社に入社し、2021年4月に国がんの研究所所員として鶴岡市に移ってきた。「鶴岡は自然豊かで平野が広がっていて住みやすい。青森と気温などが少し違うので慣れるのが大変だった」と話す。特に夏の暑さに閉口したという。
大学では、高い再生能力を持つことで有名なプラナリアの生殖や代謝酵素の関与などについて研究を続けてきた。国がんに派遣されてからは乳がんに関する研究を始めた。これまでの研究分野と全く違うため「新しい知識を仕入れないと」と毎日奔走している。
2人が関わった論文の中核となる小細胞肺がん(SCLC)は、悪性度が高く罹患(りかん)すると5年間生存できる確率は10%未満。そのため新しい治療法の開発が切望されている。
SCLCの中で核酸が生合成されるには、「新生合成経路(デノボ経路)」と「再利用経路(サルベージ経路)」の2つのパターンがあり、今回の論文は両経路の役割を包括的に検証。さらにサルベージ経路の酵素「HPRT1」が小細胞肺がんの増大に重要な役割を担っていることを突き止めた。このHPRT1の遺伝子の働きを阻害することで、がんの増殖を止められる可能性がある。
田畑さん、成田さんとも鶴岡市に住みながら、日夜がん克服に向けた研究に没頭している。田畑さんは「以前、6年ぐらい住んでいたけど今でもお年寄りの話す庄内弁は10%程度しか理解できていない」と笑う。成田さんは「庄内は食べ物が何でもおいしい。寒ダラ汁は未体験なので今度の冬は挑戦してみたい」と話していた。