2023年(令和5年) 09月22日(金)付紙面より
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庄内空港と韓国・仁川空港を結ぶ国際チャーター便が11月24、27日に2往復4便運航される計画であることが21日、全日本空輸(ANA)庄内支店と県観光復活推進課インバウンド推進室などへの取材で分かった。実現すれば韓国から庄内空港への国際チャーター便は2019年6月以降、4年ぶりとなる。
チャーター便に使用されるのはアシアナ航空の170人乗り中型機。24日午前に仁川空港発と折り返しの庄内空港発、27日午後に仁川空港発と折り返しの庄内空港発の計4便が運航される。庄内空港は10月1日から来年3月30日まで庄内―羽田間が1便増の5便化となるため、ダイヤの合間を縫っての運航となる。庄内側、韓国側ともそれぞれ3泊4日のツアーが組まれているという。
関係者などによると、今年夏ごろ韓国側からアシアナ航空を通じて打診があったという。ANAとアシアナ航空がともに航空連合・スターアライアンスに加盟していることがきっかけで、県と協力して受け入れ態勢を整えていた。
県観光復活推進課インバウンド推進室では「県では関係機関と協力し、インバウンド、アウトバウンドともに取り組みを進めてきたが、そうした成果が出たのでは。今回のチャーター便を契機に今後も相互交流を進めていければ」と話している。
2023年(令和5年) 09月22日(金)付紙面より
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酒田市出身のシャンソン歌手、故岸洋子さん(1934―92年)の楽曲を歌い継いでいくことを目的に活動を展開している「岸洋子を歌いつぐ会」(櫻田常夫会長)の佐藤喜和子事務局長(同市新橋四丁目)を講師に招いたイベントが20日、同市の上安町二丁目自治会館で開かれ、参加者が講話に耳を傾けたほか、全員で岸さんの「希望」を合唱した。
歌いつぐ会は、岸さんの没後25年という節目に合わせ2017年5月、元音楽教師の佐藤事務局長が中心となって設立。市内の児童・生徒に岸さんの功績を紹介しているほか、岸さんの誕生日(5月23日)に合わせ「希望コンサート」と銘打ったイベント、命日(12月11日)前後には、声高らかに岸さんの楽曲を歌う「メモリアルうたごえ」をそれぞれ開催している。
今回のイベントは、同市の上安町自治会(土田良男会長)が地区住民を対象に開催している「上安町憩いの部屋」の一環。地区住民約20人を前に、佐藤事務局長は「歌を愛し 酒田を愛した歌姫『岸洋子さんを語る』」と題して講話した。
岸さんの歌の特徴について「ただ歌っているのではなく、心に強く響く歌い方。日本語がはっきりしており、感情の起伏もある。なかなか真似ができる歌い手はいない」と。そして「音が心に響けば、それこそが『音楽』。世界中どこにいても歌は響く。良い歌と出会ってほしい」と呼び掛けた。
膠原病を患ってからは常に具合が悪く、楽屋で寝込むこともあったというエピソードを紹介。また、岸さんのいとこに当たる前田直己さん(上本町、前田製管相談役)が寄贈し現在、希望ホールエントランスに展示されている岸さん愛用のピアノに触れ、「『触れないで』と掲示されているが、誰もが弾けるようにしてほしい。岸さんの楽曲が常に流れるホールになれば」と述べた。
引き続き佐藤事務局長が奏でるピアノの音色に合わせ、参加者たちは岸さんの「希望」とともに、「若者たち」「里の秋」で声をそろえた。土田会長は「岸さんの楽曲がさらに好きになった。機会があればまた講師をお願いしたい」と話した。
2023年(令和5年) 09月21日(木)付紙面より
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最終盤を迎えたNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎(1862―1957)が90年余り前、植物採集のため鳥海山(2236メートル)を訪れた際に、同行した地元住民らと一緒に収まった写真2枚が、遊佐町上蕨岡の神職、太田幹人さん(63)方に残されている。「祖父、俊賢(としたか)(故人)のアルバムに牧野博士の写真があるのは以前から知っていたものの、『古い写真』というぐらいのイメージだった」と幹人さん。ドラマが始まり「たまたま妻(葉子さん)に写真を見せたら、そこからメールを介して広まった。近所の方々から『すごい写真があったね』と言われ、博士の偉大さを再認識した」と話す。
「雑草という草はない」の名言で知られ、「日本植物学の父」と呼ばれる牧野は、全国各地で植物採集に没頭した。
牧野の日記などに基づく「牧野富太郎植物採集行動録」や、植物に詳しい「フロラ山形」会長の土門尚三さん(68)=同町小松=によると、鳥海山には1930(昭和5)年8月6日、同町の蕨岡口から入山し湯ノ台鉱泉に宿泊。7日は河原宿で野営した。8日に山頂を踏んで御浜に下り、御浜小屋に泊まって翌日、鳥海湖ほとりで十数人ごとのグループで記念撮影に臨んだ後に解散したという。
荘内博物学会(当時)が講師に招いたとみられる植物採集会の一行は総勢約100人の大所帯。土門さんは「当時から有名だった牧野博士の人気ぶりが知られる」とし、「季節は多くの高山植物が花を咲かせているころ。博士も白い花弁が愛らしい『ヒナザクラ』などを見て楽しんだのでは」と思いをはせた。
太田さん宅に残る写真の撮影場所は、火口湖の「鳥海湖」ほとりと、現在の湯ノ台口ルートの7合目「河原宿」。牧野はどちらも白い帽子、蝶(ちょう)ネクタイに三つぞろいのスーツ姿で中央に写っている。
幹人さんは「祖父は蕨岡村(当時)の村長をしており、その関係で牧野博士の世話係の一端を担ったのかも。テレビドラマにならなければ改めてアルバムを開くこともなかった。何かの縁を感じる」と感慨深げに話した。