2023年(令和5年) 05月23日(火)付紙面より
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庄内地域の2カ所を含め県内9カ所で養殖が行われている、県の魚「サクラマス」と、「ニジマス」を掛け合わせて誕生した“ご当地サーモン”の「ニジサクラ」。本格出荷を前に現在、県は山形市内のホテルでキャンペーンを展開中。サクラマスの美しい身の色と上品な味わい、ニジマスの育てやすさを併せ持ち、ほどよい脂乗りと食感が特徴で、「山形でしか味わえない逸品」と好評を得ており、ブランド化に向け期待が高まっている。
サケ・マスの水揚げが年々減少し続ける一方、国内外を問わず需要が増えていることを受け県は2013年から、県内水面水産研究所(米沢市)を中心にニジサクラの開発に注力。全てが雌で成熟せず卵を持たないため産卵に使う栄養がうま味として凝縮され、淡水の養殖場で育てていることから生食ができる。
当初は22年度の本格デビューを予定していたが、魚病や水害の影響もあって出荷数が400匹にとどまったため1年先送り。安定出荷できる体制が整ったとして県は今年3月、養殖業者や飲食店関係者などとブランド推進協議会を設立。取扱店と連携したメニューの開発やキャンペーンの展開などで広く認知度向上を図っている。
庄内地域で養殖事業を手掛ける2カ所のうち、酒田市が制定する「新田産業奨励賞」を受賞するなど水産加工品開発・製造・販売に定評がある木川屋本店(遊佐町比子、中鉢宏社長)は昨年5月から、日向川鮭漁業生産組合(同市、大場清悦組合長)の協力で、同組合が所有する稚魚池を借りて事業を展開。中鉢社長は「100グラムほどの稚魚1300匹を入れた。一時酸欠状態になったものの、良質の水、温度管理、自社開発した国産天然魚をペレット状にした餌の3要素でどんどん大きくなり、1・5キロまで成長。先月末の初出荷にこぎ着けた」と話す。
協力者らを招いた試食会が20日午後、同社内で行われ、中鉢社長、大場組合長はじめ8人が参加。「食の都庄内親善大使」を務める土岐正富さん(庄内町、厚生労働省認定「現代の名工」)による刺し身、10度以下で5日間いぶした同社製の冷燻製(くんせい)で味わった。大場組合長は「おいしい上に色合いも良い。広くPRをして山形を代表する味の一つになれば」、土岐さんは「焼いて良し、イタリアンでもフレンチでも良しと何でもできると思う」と太鼓判。中鉢社長は「大勢の皆さんのおかげでニジサクラの生産者になることができた。引き続き勉強を重ねてより良いものを出荷したい」と話した。
ニジサクラデビューキャンペーンは31日(水)まで、いずれも山形市内の▽山形グランドホテルレストラン「ラ・セーヌ」▽ホテルメトロポリタン日本料理・鉄板焼「最上亭」▽山形七日町ワシントンホテル「三十三間堂」▽山形国際ホテルレストラン「グロリアス」―で実施している。開催日時、メニューはホテルによって異なる。問い合わせなどは県水産振興課=電023(630)3300=へ。
2023年(令和5年) 05月21日(日)付紙面より
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「庄内三大祭り」のトップを切って、酒田市の「酒田まつり」が20日、本祭りを迎えた。新型コロナウイルス感染拡大の影響でここ数年は中止、規模縮小が続き、制限なしでの開催は4年ぶり。酒田を象徴するシンボル・大獅子をはじめ工夫を凝らした山車が中心市街地を練り歩いた他、時代行列では江戸期以降の酒田の通史を紹介。沿道には多くの露店が立ち並び、港都を熱気が包み込んだ。
江戸初期の1609(慶長14)年から山王祭として始まった上日枝(浜田一丁目)、下日枝(日吉町一丁目)両神社の例大祭で、一度も欠かさず続けてきたことが市民の誇りとなっている。1976年10月に発生した酒田大火の復興宣言が行われた79年から、市を挙げた祭りにしようと、現名称にし続けられている。コロナ禍のため2020、21年は神事のみが行われ、昨年は規模を縮小し実施した。
本祭り山車行列は午前の開催となり、23団体約1500人が参加。酒田ばやし保存会などによる軽快な演奏が鳴り響く中、幼児や小・中学生による山車、酒田のシンボル・大獅子、酒田青年会議所がこれまで制作した千石船、日吉丸などが練り歩いた。前日と打って変わり青空が広がる絶好の祭り日和となる中、沿道の拍手を受け、威勢よく山車を引いていた。
息子を獅子パックンしに家族5人で祭りを見に来たという土屋華菜さん(35)=天童市=は「地元が酒田で、3、4年ぶりに酒田まつりに来れてうれしい。末っ子も無事パックンしてもらえて、健やかに大きく育ってほしいと思う」と話した。
2023年(令和5年) 05月21日(日)付紙面より
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競泳男子で2016年のリオデジャネイロ五輪代表を経験した小関也朱篤(やすひろ)さん(31)が古里・鶴岡市で指導者の道を歩み始めた。「知識や技術、自分の経験を子どもたちに伝え、水泳を楽しみながら成長する姿を見守りたい」と意欲を見せている。
小関さんは羽黒高から日体大に進んだ。2014年の短水路競泳日本選手権で、男子平泳ぎの50メートル、100メートル、200メートルの3種目全てで短水路日本記録を更新し優勝。同大卒業後はミキハウスに所属し、リオ五輪の200メートル平泳ぎで5位入賞、17年の世界選手権は同種目で銀メダルを獲得するなど活躍した。100メートル平泳ぎ(短、長水路とも)の日本記録保持者。
昨年11月に現役引退を発表した際、中学?高校時代に指導を受けた恩師・木村憲さん(58)=鶴岡市、キムラスイミング代表取締役=へ引退を報告するとともに「そっち(鶴岡)に戻れますか」と打診。木村さんは「戻ってきてくれたらうれしい」と答えた。小関さんは今年3月末に前所属先の自衛隊を退職し、家族と共に鶴岡市へ移住。木村さんが運営するキムラスイミングのコーチに就任した。
指導者の道を選んだことに小関さんは「長年やってきた水泳の技術や知識を子どもたちに伝えたいと思った。いろんなものを犠牲にしてきた自身の経験から、詰め込み過ぎの練習は長続きしない。まずは泳ぐことを楽しんでほしい」と古里の子どもたちに一番伝えたいことを語り、「目先の目標に向かって全力で頑張ること。その上で記録が伸びる喜びを子どもや保護者と共有したい」と話した。
高校卒業後、神奈川県で10年、埼玉県で3年半暮らし、久しぶりの古里に「ご飯がうまいと強烈に感じた。買い物に行くと魚が安くてうまい。存分に味わっている」と笑う。幼い2人の娘がおり、「両親に預かってもらうなどとても助けてもらっている。首都圏では周囲に頼れる人がいなく大変な思いをした」と話した。
現在は鶴岡市民プールを練習会場に、小学校低学年から高学年を対象にした水泳教室と、各種大会での活躍を目指す小中高校生の選手コースで指導に当たっている。「指導者としてはまだまだ勉強中。言葉を選んで伝えるのがとても難しい。のみ込みが速い子もいれば、そうでない子もいる。分け隔てなく見てあげたい。選手コースで頑張る子どもたちに結果を出させてあげたい。大幅な自己ベスト更新や県大会優勝、インターハイで活躍できる選手が出てきたらうれしい」と語った。