2023年(令和5年) 09月20日(水)付紙面より
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柔和な笑顔をたたえながらステージに現れた俳優の大森南朋さん。NHK大河ドラマ「どうする家康」では徳川家臣団の筆頭・酒井忠次を演じている。その大森さんを迎えたスペシャルトークショーが9日、鶴岡市の荘銀タクト鶴岡で開催され、撮影の裏話などが披露された。ショーの中や、その後の質問会でのエピソードを4回にわたって紹介する。写真はいずれもNHK提供。
大森さんは、同番組制作統括の磯智明チーフプロデューサー、進行役のNHK山形放送局・羽隅将一アナウンサーと共に登場。参加した約850人のうちの8割がたは地元・庄内の人たち。“わが殿”の登場にどよめきさえ起きた。会場の期待をヒシヒシと感じた(らしい)大森さんは「酒井忠次公(がモデル)の役を演じるに当たり、失礼のないように努めてきたつもり。今日は温かい目で、よろしくお願いします」と照れながらあいさつ。磯さんは「午前中に鶴岡を歩いたが、皆さん忠次公のことを“殿”と呼ぶんですね。われわれはスタジオで(家康役の)松本(潤)さんを殿と呼びますが、今日は大森さんが“殿”だと思って一生懸命支えていきたいと思います」と応じ、一気に場が和んだ。
撮影は昨年6月にスタートした。大森さんは忠次役を演じるに当たり、歴史的資料なども読み、どういう人物であったかを研究。そして、「殿(家康)に仕え、愛し、ちゃんとした主君になっていただくために尽くした人物」として演じたという。「松重豊さんが演じた石川数正が父親だとすると、忠次は母親的な存在。並んでみると、身長的にもそんな感じだった」と笑わせ、厳しい数正、優しく見守る忠次を対比させたという。
磯さんは「これまでのドラマでの忠次のイメージを変えたいと思っていた」と話す。家臣団では榊原康政や井伊直政に比べて忠次は年上で、しっかり者の事務官的な存在として描かれることが多く、そういう方が演じてきた。個性的な三河家臣団やマイペースな家康をまとめるには相当の人物で器が大きくなければいけないし、一歩下がってチームのことを判断できるクレバーで血の通った人物として描きたい。「その意味で大森さんに」とキャスティングしたという。
トークショーに先立ち、大森さんらは致道博物館や酒井家墓所、大督寺、旧庄内藩校致道館などを訪ねた。致道博物館では、「徳川十六将図」や忠次公ゆかりでいわく付きの重要刀剣「袖の雪」などを鑑賞。酒井家墓所では忠次公が眠る墓に白い花を手向け、手を合わせた。隣接する大督寺には忠次公の妻・碓井姫の像がある。齋藤浩明住職の案内でその像と対面し、びっくりしたことがあるのだが…。(編集局・難波恵美)
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NHK山形放送局では「やままる」で放送するトークショーの日にちを10月3日と発表していたが、今月21日(木)に早めた。また、致道博物館では21日から始まる新企画展示「日本刀物語~変遷と魅力~」で、大森さんが鑑賞した「袖の雪」も展示する。
2023年(令和5年) 09月20日(水)付紙面より
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「体は東京にあっても、心はいつも生まれ在所にあった」―。藤沢周平さんほど故郷にこだわった作品を書き、さらに数多くのエッセーを残した作家はいないと言われる。藤沢さんが『暗殺の年輪』で第69回直木賞を受賞(1973年)してから50年。それ以来、時代小説を次々と送り出し、どの作品も人々の心を引き付けてやまない。
鶴岡市の藤沢周平記念館で「直木賞受賞50年記念企画展」が開かれている。テーマは「藤沢周平と直木賞」。企画展では30代半ばから小説を書き始めた藤沢さんが小説を書き始めてから受賞までの歩みを、作品を生み出すまでの草稿などの展示を通じて紹介している。
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金峯山の麓で生まれた藤沢さんは、湯田川中学校で天職と決めた教壇に立った。しかし病を得て教職を去り、療養後は東京で業界新聞社に勤めた。妻を亡くし、新聞社の取材をして、帰宅すれば子どもと母の世話。小説の執筆は深夜だったという。
作家としてのデビュー作は71年、第38回オール讀物新人賞の『溟い海』。この時のことを「新人賞の夜」としてエッセーに残した。「選考結果が出る時間は帰宅途中の電車の中。そこで会社に残って待つことにした。受賞の電話に、しばし茫然としていた。少々くたびれた文学青年が文壇の片隅に小さな椅子をもらっただけと思ったが、実は私の人生の転機となった夜だった」と。
藤沢さんはデビュー前にも多くの作品を書き、湯田川中時代の教え子に読んでもらっている。教え子の「先生の作品は暗い、もっと明るい現代小説も」との評に、藤沢さんは「暗いものは全部吐き出さないと、明かりが見えてこない。つらい思い出を払しょくするため小説を書いた」と語った。そして苦難の時を抜け出したかのように「自分のためでなく、読んでくれる人のために書けるようになった」とも話している。作品の魅力から「鶴岡藤沢周平文学愛好会」ができ、亡くなると「寒梅忌」を開いて藤沢さんをしのんできた。
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藤沢さんの、旧庄内藩がモデルというみちのくの小藩「海坂藩もの」の作品の情景から、庄内のどの辺りを思い浮かべて書いたものかが想像できる。丹念な取材を心掛け、「他の作品などを参考にしたくなることもあるが、小説には落とし穴があるかもしれないと思うと、自分の目で確かめたかった」とエッセーで書いている。企画展では、藤沢さんの几帳面さが分かる、手帳につづられたメモなども紹介している。
藤沢さんの本名は「小菅留治」。作家名の「藤沢」は、若くして亡くなった妻の郷里「鶴岡市藤沢」の地名。直木賞は「溟い海」から数えて4度目の候補で受賞したが、作品の多くは「創作ではいつも故郷の原風景を思い浮かべていた」という藤沢さんの意図がうかがえる。企画展に足を運び、藤沢さんの歩みに触れてもらいたい。
2023年(令和5年) 09月20日(水)付紙面より
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第2回Kamiji Cup柔道フェスティバルが16、17日の2日間、鶴岡市の羽黒高校で開かれた。2016年リオデジャネイロ五輪銀メダリストの原沢久喜選手(31)による練習会や県内外の高校生によるリーグ戦、クラフトワークショップなどが行われた。
イベントを通じて柔道の楽しさを感じてもらおうと羽黒高校の工業科の生徒でつくる学生団体「プロフェッショナルラボ」が主催した。大会名の「Kamiji」は羽黒山大鳥居から同校へ向かって伸びる神路坂に由来する。高校生の部は東北を中心に7県12校、小学生の部は県内5チームの計約150人が出場。16日に団体リーグ戦、17日に個人トーナメント戦が行われ、各校が熱戦を繰り広げた。
原沢選手による練習会では、本人との乱取りや質疑応答が行われ、選手たちはメダリストの技術を間近で体感した。また、会場ではキッチンカーの出店や庄内産の果樹販売なども行われた。