2022年(令和4年) 09月08日(木)付紙面より
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第23回日本海沿岸東北自動車道(日沿道)建設促進フォーラムが6日、酒田市のル・ポットフーで開かれた。沿線各県の経済団体関係者らの意見発表や専修大商学部教授の太田和博さん(交通経済学、道路政策)の講演で高速道が果たす役割の重要性への認識を新たにするとともに、日沿道の早期全線開通を求める大会決議を採択した。
東北6県、北海道、新潟県の経済団体、青年会議所など70団体でつくる実行委員会(代表・増子次郎東北経済連合会長)が毎年、沿線各地で開いている。コロナ禍のため昨年は中止。2年ぶりとなった今年は約150人が参加した。
増子会長は冒頭のあいさつで、事業化されたものの、開通の見込みが立っていない朝日まほろば(新潟県)―あつみ温泉間40・8キロに触れ、「高速道路はつながってこそ。安全・安心、生活の質・生産性の向上のためにも建設促進、一日も早い全線開通を願う」と述べた。
続いて本県を含め沿線4県の代表が意見発表。本県代表として登壇した鶴岡商工会議所青年部直前会長の金野隆行さんは「誰も経験したことのないコロナ禍という状況下、明るくワクワクするような話題づくりが必要。日沿道の全線開通はその起爆剤となるはず。早期開通こそ地域経済を発展させる鍵で、コロナ禍で疲弊した地域企業の復活に欠かせない」と訴えた。
引き続き太田さんが「2040年、道路の景色が変わったときの日沿道―まずはつながないと、そして使い倒さないと」と題し講演。道路政策における将来展望として▽国土交通省道路局が公表した中長期ビジョン「2040年、道路の景色が変わる」▽同ビジョンのロードマップ「今、道路の景色を変えていく」▽国交省職員による政策提言「日本を進化させる生存戦略」―の3つを紹介、「ビジョン、ロードマップ、提言とも高速道路の整備には触れていない。2000年頃までは年間200キロほど整備されたが、ここ5、6年は50キロほどと速度が落ちている。予算が取れないからで、危機感を持たないといけない」と建設促進に向けた運動のさらなる強化を促した。
2018年に「中間とりまとめ」が行われ、当初は昨年度中に発表される予定だった「新高規格道路整備計画」に関し、「いつ出されるかは今のところは不明。期待は高まるが、予算・財源の裏付けのない計画。この計画が出されたら、うまくいくよう議論を深めてほしい」と話した。
最後は弦巻伸酒田商工会議所会頭が未整備区間の早期完成などを求める大会決議を読み上げ、大きな拍手で採択された。
2022年(令和4年) 09月07日(水)付紙面より
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鶴岡市の庄内農業高校の堀井玲月(りず)さん(3年)=鶴岡二中出身=が、先月下旬に青森県で行われた高校生の意見発表会「第73回日本学校農業クラブ東北連盟大会」の3類部門で最優秀賞を受賞した。発表したタイトルは「見つけた!わたしの道?喜びへ渡す架け橋?」―。名物となった庄農うどんの加工販売の体験を通して「これからも地域のつながりを大切にしたい」との思いをアピールした。堀井さんは東北代表として10月26日に福井県で行われる全国大会(北陸大会)に出場する。
この大会は、全国の高校生を対象に毎年開かれている。各県の予選を突破した1類(農産物の生産や流通などに関すること)、2類(加工技術と商品開発、環境保全に関すること)、3類(地域資源の活用に関すること)の3部門の代表者が各ブロック大会に出場。発表内容、文章能力、表現力を基準に審査され、各部門で最優秀賞に選ばれた人が全国大会への出場権を得る。
堀井さんは中学生の時、庄内農業高のオープンキャンパスに参加し、お菓子作りに興味を抱いて進学を決めた。食品科学科で「庄農うどん」の加工販売や、うどんを提供する協力店での社会体験を通じて「将来はこの地域に関わり、多くの人たちを笑顔にする仕事をしてみたい」との思いを強く抱いたことを発表した。
東北大会で最優秀賞に選ばれた時は「すごくうれしかった。1年生の頃は、ただ言われたことをこなすだけだったが、2年生になってPR活動などを率先するようになった。意識と行動の変化が評価されたのだと思う」と話す。
今年も2日から藤島地域の飲食店9店舗で庄農うどんを提供するキャンペーン「庄農うどん大作戦」が始まった。これまで酒田市中町にある「酒田ハーバーラジオ」に出演し、リスナーに「大作戦」の取り組みや庄農うどんのおいしさを紹介してきた。学校と飲食店の橋渡し役となった人たちの姿を見て「私も地域のために頑張る人になりたい」という思いも1800字の文面につづった。卒業後は新庄市にある県立農林大学校に進み農産加工経営学を学ぶ。地元庄内で就職することが目標だ。
全国大会に向けて堀井さんは「私自身の夢と目標を明確に伝えたい。東北大会の文章を直すことはできますが、あまり手を加えることは考えていません。ほとんどそのままで。頑張ります」とほほ笑んだ。
2022年(令和4年) 09月07日(水)付紙面より
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酒井さん(酒井家当主)と門松さん(公益大准教授)加わり鼎談
酒井家庄内入部400年を記念した講演・鼎談(ていだん)会が5日、酒田市の東北公益文科大学公益ホールで開かれた。2部構成で行われ、第1部は国際日本文化研究センター教授で史学博士の磯田道史さんが講演。第2部では磯田さん、旧庄内藩酒井家第18代当主の酒井忠久さん、門松秀樹公益大准教授による鼎談で、酒井家と庄内の400年について考察した。
講演・鼎談会は、公益大後援会(上野隆一会長)が本年度総会に合わせて企画した。講演した磯田さんは1970年生まれ。社会経済史的な知見を生かして歴史上の人物の精神を再現する仕事を続け執筆の他、テレビ番組でも活躍。主な著書は映画化された「武士の家計簿」(新潮新書)など。NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」に出演中。
磯田さんは「どうする忠次。こうして家康様」と題して「徳川四天王」の筆頭と称される酒井家初代・忠次公(1527―96年)の人物像について講演。忠次公を「徳川家康公の『諸葛孔明』」と評し、三方ケ原の戦い(73年)、長篠合戦(75年)における進言などから「諜報力、分析力、作戦立案に長けていた。何より徳川家全体の利益を考えた言動がとれた。良い家臣がいたことで徳川家が天下を取ることができた」と続けた。
引き続き門松准教授の進行で、磯田さん、酒井さんが鼎談。酒井家が庄内に入部した理由について磯田さんは「伊達政宗を抑え付ける『伊達ストッパー』が必要で、親戚に近い間柄として酒井家が選ばれた。庄内、桑名、彦根、長岡、会津と辺境地域に前線部隊を置いたが、これらの藩は忠誠心が高く幕末、死に物狂いで徳川のため戦った。家康らが設計した構造は幕末まで残った」と述べた。
庄内藩第10代藩主・酒井忠器公を長岡に、長岡藩主を川越に、川越藩主を庄内に転封する命令を江戸幕府が下したことに対し、庄内の領民が防ごうとした「三方領知替え」について、磯田さんは「江戸時代に『殿様、行かないで』というのは珍しい。酒井家は質実で嫌われていなかったことに加え、お金のつながりがあった本間家の影響も大きい。ウィンウィンの関係ができていた」と語った。
藩校・致道館の開設をはじめとした藩政改革について酒井さんは「7代・忠寄公は老中をやっていたため出費が激しく、加えて飢饉(ききん)・天災で農村が疲弊した。まずは農政改革を実行することになり、財政がうまくいった段階で、風俗を改めるため徂徠学を学ぶ藩校を建てるということになった」と述べた。会場で市民ら約500人が熱心に聴講した。