2017年(平成29年) 05月04日(木)付紙面より
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商船三井客船(本社・東京都)の豪華客船「にっぽん丸」(2万2472総トン、乗客定員524人、乗組員230人)が3日、酒田市の酒田港古湊埠頭(ふとう)に寄港し、地元関係者の歓迎を受けた。
横浜港(神奈川県)を起点に4月27日―5月7日の最長10泊11日の「日本一周クルーズ」の一環で、酒田には昨年5月以来、1年ぶりの寄港となった。
午前9時ごろに接岸し、埠頭での歓迎セレモニーでは、酒田市の矢口明子副市長が「酒田港は先に、北前船寄港地として日本遺産にも登録された。酒田、庄内の歴史、文化、自然を楽しんで」と歓迎のあいさつ。市や酒田商工会議所、JA庄内みどりなどが久保滋弘船長らに花束や獅子頭の置物、同市産「つや姫」などを贈って歓迎の意を表した。
青空が広がる好天の下、乗客たちは残雪の鳥海山に「素晴らしい」などと感激した様子で記念撮影。午後5時の出港まで、最上川舟下りなどオプショナルツアーやガイド付き無料シャトルバスを使った市街地巡りなどを楽しんだ。
2017年(平成29年) 05月04日(木)付紙面より
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鶴岡市馬場町の鶴岡アートフォーラムで3、4の2日間、ゴールデンウイーク企画「作って遊ぼうこどもの日スペシャル」が開かれ、多くの親子連れでにぎわっている。
親子で身近な素材を使った物作りを楽しんでもらうとともに、作ることの楽しさを感じてもらおうと、同館が毎年5月の大型連休に合わせて開催している。
初日の3日はオープンの午前10時に合わせて親子6組15人が会場に足を運び、紙皿を使ってこいのぼり作りを楽しんだ。子どもたちは折り紙や画用紙を好きな形に切ったり、マジックで紙皿に絵を描いたりしてオリジナルこいのぼりを完成させた。中には一人で何作も作り上げる子どもたちもおり、親子で工作を楽しんでいた。
同市の美咲保育園に通う富樫柑菜ちゃん(5)は「こいのぼりにリボンを付けるのが大変だったけど楽しい。家に持ち帰って飾りたい」と笑顔。母親は「家だと散らかって困るし、物もたくさんあってきょうだいでけんかにならないのもありがたい」と話していた。
4日は午前10時から正午まで(最終入場午前11時半)。幼児・小学生低学年とその保護者対象。参加無料。
2017年(平成29年) 05月03日(水)付紙面より
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酒田市松山地域で1日、中山神社祭典(通称・松山まつり)が繰り広げられ、いずれも市無形文化財に指定されている、城下町・松山の歴史を現代に伝える「武者行列」と「松山藩荻野流砲術」の演武が市内外から訪れた祭り客を魅了した。
同神社は庄内松山藩初代藩主・酒井忠恒公(1639―75年)を祭っている。武者行列は忠恒公のみこしが藩内を巡る際、警護の藩士が練り歩いたのが起源とされ、江戸時代中期の宝暦年間(1751―63年)から250年余にわたって続いているとされる。1986年に旧松山町が無形民俗文化財に指定した。
今年の行列には、同神社の氏子や地元・東部中の生徒ら100人余が参加。一行は午後1時ごろに同神社前を出発。太鼓の音に合わせ、かみしも姿の武者を先頭に、鉄砲組や弓組、足軽組、馬に騎乗した行列奉行、侍大将らのよろい武者が歴史公園や仲町など中心部約4キロを3時間ほどかけて練り歩いた。
沿道には、大勢の祭り客やアマチュア写真家が待ち構え、迫力ある歴史絵巻を堪能していた。
砲術演武は午前11時から松山歴史公園多目的広場で行われた。
荻野流砲術は、より実戦向きの流儀とされる。松山藩士の山本丈右衛門(生年不詳―1833年)が1808年に免許皆伝を受けて藩内や周辺に広めた。明治期以降は武者行列の中で演武を披露していたが、火薬使用の規制強化で戦後、一時中断。1990年に町民の間で復活の話が盛り上がり、有志が「松山藩荻野流砲術伝承保存会」を結成。伝統の作法などを研究し98年、松山藩350年祭に合わせて復活。以来、松山まつりなどで披露している。2003年に旧松山町の無形文化財に指定された。
この日は砲術隊員が中筒などを使用し、立って肩に構える「立ち放し」、腰に構える「腰放し」、全員で一斉に放つ「斉射」などを披露。ごう音とともに白煙が立ち込め、詰め掛けた行楽客たちは歓声を上げていた。