2023年(令和5年) 5月4日(木)付紙面より
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鶴岡市の致道博物館で開催中の酒井家庄内入部401年特別展「徳川家康と酒井忠次」を記念した講演会が4月30日、同市本町一丁目の荘銀本店ホールで開かれた。日本史学者の平野明夫國學院大兼任講師が「酒井家の歴史と徳川家康」と題して講演し、徳川四天王筆頭に挙げられる旧庄内藩主酒井家初代・忠次について、「家康の家臣団の中でも突出した存在だった」と語った。
平野さんは日本の中世史研究の中でも家康に関わる東海や関東地方の歴史研究の第一人者で、「三河松平一族」「徳川権力の形成と発展」などの著書がある。
講演で平野さんは酒井家の発祥や酒井家の左衛門尉(さえもんのじょう)家と雅楽頭(うたのかみ)家の関係、家康と左衛門尉家の忠次との関わりについて、古文書を基に解説した。
左衛門尉家は家康の祖父・清康の時代から松平(徳川)家の家臣団の一員となり、忠次は家康の時代の初期からすでに家臣の中心的存在として家康を支えていたとした。
家康家臣団の「2大巨頭」とされる忠次と石川数正に関して、忠次が吉田(豊橋)などの東三河の統治を任せられたのに対し、数正は岡崎など西三河統治の責任者だったとされる点について、「古文書を見ると忠次に対する書状はあるが、数正へのものは見つかっておらず、西三河は家康自身が統治していたと言えるのではないか」と解説した。
その上で、今回の特別展に展示されている永禄7(1564)年6月の書状「松平家康判物」(致道博物館蔵)について、「家康が忠次に東三河の統治を任せるとした文書で、左衛門尉家にとっては大変重要な史料。一見の価値があり、ぜひ見てほしい」と呼び掛けた。
記念講演会には市民や歴史ファンら約140人が訪れ、質疑応答で織田信長が絡んで家康の嫡男・信康が自害した「信康事件」の真相を尋ねるなど、活発な意見が交わされた。