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2023年(令和5年) 9月23日(土)付紙面より

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「どうする家康」トークショー裏話2 忠次のバディ登与と数正

 鶴岡で忠次公ゆかりの場所を巡った大森南朋さん。大督寺では、忠次公の妻・碓井姫の木像と対面。ドラマでは登与と呼ばれ、猫背椿さんが演じているが、ふっくらした顔立ちが猫背さんそっくりで、びっくりしたと話す。何度も共演し、気心の知れた存在で、「この事は猫背さんに報告を」と笑わせたが、磯智明チーフプロデューサーも「さすがに顔が似ていたからキャスティングしたわけではないが、本当にそっくり」と驚いた様子だった。

 今回のトークショーで一番の盛り上がりを見せたのが、忠次の特技として描かれる「えびすくい」だった。そこでも登与の名前が出てくる。「どの回のえびすくいが印象深かったか」という質問に大森さんが挙げたのが、登与と一緒の初回の踊りだった。

 碓井姫は家康の母・於大の父違いの妹であり、家康から見ると父方の叔母に当たる。忠次公は家康が今川家の人質になった際は追従しており、二人とも幼少期から家康を面倒見ていたと推測されるし、三河武士に溶け込んでいただろう。その二人が三河の地に戻った家康を盛り立て、ばらばらの家臣団を和ませるために踊ったえびすくいは、その後も重要度を増す“宴会芸”の皮切りとして意味を持つ。磯チーフプロデューサーは「夫婦仲がとても良かったと伝わっている。そのことが三河を離れ、遠い鶴岡の地にご子孫が移っても代々栄えてきた証し」と話す。

 登与が忠次にとって掛け替えのないバディであったとすれば、もう一人忘れてはいけないのが石川数正の存在だ。忠次と数正は家康のブレーンとして、軍議なども3人で行うことが多かったが、秀吉に仕えるかどうかで決断を迫られる中、その数正がまさかの出奔。大森さんも、数正がいなくなってからの撮影は「とても寂しく、相当つらかった。本番でも大泣きしたが、それが役の上の数正への思いなのか、これで撮影がなくなる松重豊さんへの思いなのか自分でも分からなかった」と。実際の忠次公の気持ちに近い感情なのでは、とも分析する。

 その時の感情をひしと感じとったのが、他ならぬ家康役の松本潤さんだった。サプライズのVTR出演では、撮影時の大森さんについて「両翼の一人がいなくなった左衛門(酒井左衛門尉忠次のこと)はつらかっただろう。南朋さんのダメージを強く感じた」と話すと、「殿のブイ(VTR)が出る前に言っちゃいましたね」と照れながらも松本さんが理解していてくれたことに、うれしそうな表情の大森さん。

 さらに、数正の出奔の真相が分かり、家臣団と語り合うシーンでは、何回も違う方向から撮影したが、松本さんが「全員が何度撮っても大泣きしていた。強い絆があったことをみんな共有したのでは」と言ったことに大森さんは「役を演じていると、僕が演じている忠次にも意思が芽生えてきて、どんどん感情が生々しくなっていく。台本には号泣するとは書いてなかったが」と話し、その場の雰囲気がつくりあげる芝居の面白さに、会場の人たちも興味深く聴き入っていた。(編集局・難波恵美)

「わが妻、登与」と愛を込めて呼ぶ大森さん。時代を超えたツーショット
「わが妻、登与」と愛を込めて呼ぶ大森さん。時代を超えたツーショット



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