2016年(平成28年) 5月2日(月)付紙面より
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北楯大堰を開削した北館利長公(1548―1625年)を祭る庄内町狩川の北舘神社(北舘利久宮司)で1日、例大祭が行われた。地元住民たちが利長公の遺徳をしのぶとともに、今年の五穀豊穣(ほうじょう)や家内安全などを祈願した。
利長公は戦国武将・最上義光配下の武将で、慶長6(1601)年に狩川城主となった。当時の狩川地区は水利が悪く、土地の荒廃を何とかしようと月山を水源に立谷沢川から水を引くかんがいを計画。慶長17(1612)年にかんがい水路が完成。これが「北楯大堰」と呼ばれて水田約5000ヘクタールを潤し、庄内東部に豊かな穀倉地帯を築いたとされる。
人々が感謝の意を込め、利長公を「水神さま」として利長公が没した寛永2(1625)年から水神社として祭ったのが北舘神社の始まりとされる。
同神社の例大祭は毎年5月1日に行われ、この日は神社の役員や土地改良区、農協、町、地元住民ら約100人が参列。神事では祭壇に山海の幸が供えられた後、北舘宮司が祝詞奏上。献幣使による祭詞や巫女(みこ)舞、英明な利長公をうたった詩吟が奉納され、関係者が玉串をささげて祈った。