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2023年(令和5年) 8月16日(水)付紙面より

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対談 『らんまん』から考える 人材育成と植物科学1

東山 哲也氏(鶴岡市出身・植物学者東京大学大学院理学系研究科教授)×門松 秀樹氏(『らんまん』時代考証担当東北公益文科大学教授)

 鶴岡市出身で植物学者の東京大大学院理学系研究科教授、東山哲也氏(52)が今年6月、致道館文化振興会議(同市)の総会記念講演会で「『らんまん』から考える人材育成と植物科学」のテーマで講演。4月から放送の始まったNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった高知出身の植物学者・牧野富太郎博士(1862~1957、94歳)と同じ東大植物学教室で学んだ東山氏は、ドラマの登場人物と実在した学生・教員をなぞりながら紹介し、同市に来春開校する中高一貫校「致道館高校・中学校」における人材育成の在り方にも言及した。荘内日報社は講演会翌日の6月25日、東山氏と、ドラマ「らんまん」の時代考証を担当した東北公益文科大学教授、門松秀樹氏(49)の対談を企画。示唆に富んだお二人の対談の要旨を4回シリーズで紹介する。

実際の東大植物学研究室に権威主義はない …東山氏

牧野は人気あった人なのにエピソード出てこない …門松氏

 門松 昨日(6月24日)の講演でドラマでの描かれ方と実際の植物学教室の雰囲気に違いがあると指摘していたが、ドラマとの違いを一番強く感じるのはどういったところか。

 東山 『植物学教室沿革』という文献があり、末尾に砕けた感じの文章がある。それを見ると、さすがに現代ほど砕けてはいないが、ドラマで描かれているほどの権威主義ではないのではないか。「教室そのものがいかにも家族的団欒(だんらん)の感ありし」と当時を振り返っている記載もある。ドラマではうまく権威主義を強調するようになっている。

 門松 矢田部良吉は東大創立時、理学部に3人しかいない日本人教授のうちの1人。相当重い立場だったと思われるが、ドラマではそこも強調した。「徳永政市」名で出ている(モチーフとなった)松村任三も牧野富太郎が訪ねた時は助手をやっていた。その後、大久保三郎とともに助教授に昇格している。本当は教授、助教授、講師ではなくて教授、助手。助手の時に牧野が訪ねているのでは。

 東山 初めて訪ねたところは正確には把握していないが、牧野が上京した年が1884年だったと思うが、2人とも83年末には助教授に昇格している。2人とも講師ではなかったはずだ。ドラマでは派閥が描かれているが、今ではそうした面はない。平瀬作五郎がなぜ研究室を去ったのか理由ははっきりしていないが、教授間の権力争いの中で自身が身を引けば収まると考えたとも言われる。本人が語らないとそれは分からない。

 門松 牧野が有名なのは長生きしたからという面はあると思う。

 東山 テレビでは言いたいことも言えない雰囲気で描かれているが、研究面では正しいと思ったことはいくらでも言える状態だったと思う。

 門松 ドラマとしてはそうした背景がある方が面白くなる(笑)。

 東山 ドラマとして非常にリアルな部分とフィクションの部分がうまく混じっていて感心している。『植物学教室沿革』を読む限りには、牧野はとにかく植物に詳しく一目置かれる存在。研究面では淡々と成果を出してきた人。人物的に素晴らしい先輩などとしては伝わっていない。

 門松 大場秀章先生が書いた小石川植物園や東大研究室の著書(『日本植物研究の歴史』)は私も読んだが、牧野は国民の間では著名な植物学者なので細かい部分まで書いてあるのかと思ったが、あっさりしている。

 東山 正にその雰囲気。植物図鑑で愛好者を育てたことを評価されていることなど、本当に淡々と紹介されている。『植物学雑誌』で紹介されているが情熱とか愛情は肌で感じる部分。助手の牧野に与えられた部屋はかなり大きいもので牧野以外にはない。処遇としてはかなり優遇されていたといえる。給料は安かったが、給料を除けば日々のことではそれなりに満足していたのでは。

 門松 普段から濃密な付き合いがないのに、牧野が困っているから助けてやろうという人がいるのはすごいことだと思う。そんな人気があった人なのに、東大の先生が書く書物にはそうしたエピソードが出てこない。

 東山 私が学生の頃、「牧野先生というすごい人が以前いて」などという話は聞いたことがない。強いていえば、学生がいる部屋に『牧野日本植物図鑑』があったことぐらい。図鑑ができたというのは非常に大きい成果なんだと思う。

 門松 自叙伝を読む限りでは自分の金遣いについては気にしていない。このくらいでないと学者としては大成しないのかもと思った。

 東山 学者で半年間のドラマを作れる人はそうはいない。すごく近い人は距離を置きたくなることもあったかもしれないが、遠くからみると助けてあげたいと思えるのかも。

 東山 哲也氏(ひがしやま・てつや)=東京大大学院理学系研究科博士課程修了。東大助手、名古屋大教授を経て19年から現職。理学博士。植物の受精を初めて映像でとらえ、謎とされた「花粉管誘引物質」を発見、「ルアー」と命名した。日本植物学会奨励賞、中日文化賞、朝日賞など受賞多数。1971年、鶴岡市生まれ。

 門松 秀樹氏(かどまつ・ひでき)=慶應義塾大大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程単位取得。慶應大や尚美学園大などの非常勤講師を経て2020年に公益大に着任し、今春から現職。法学博士。専門は日本政治史など。時代考証学会に所属し、多くのドラマ制作に携わっている。1974年、小田原市生まれ。

植物学者・牧野富太郎と同じ東大植物学教室で学んだ東山氏(左)と、ドラマの時代考証を担った門松氏=6月25日、東京第一ホテル鶴岡
植物学者・牧野富太郎と同じ東大植物学教室で学んだ東山氏(左)と、ドラマの時代考証を担った門松氏=6月25日、東京第一ホテル鶴岡


2023年(令和5年) 8月16日(水)付紙面より

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戦没者遺族らが追悼の黙とう 終戦の日に「慰霊と平和を願う集い」 鶴岡

 戦後78年を迎えた終戦の日の15日、「慰霊と平和を願う集い」が鶴岡市の鶴岡公園内にある護国神社で行われ、戦没者の遺族らが集まり、追悼の黙とうをささげた。

 集いは市遺族連合会(山田登会長)や荘内神社(石原純一宮司)、自衛隊退職者でつくる隊友会などが主催。会員を中心に約40人が参列した。

 石原宮司による神事に続いて追悼の言葉として、山田会長(87)が「先の大戦が終わりを告げてから78年が過ぎた。戦没者遺族の高齢化が進み、子どもの遺族も80、90歳代になった。戦時中に思いを巡らせれば、多くの苦難と悲しみが昨日のことのように思い出される。今の平和と繁栄は戦禍による尊い犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはならない。戦争の悲惨さを風化させずに次世代へ伝えることが、私たちに課せられた重要な使命」、皆川治市長が「世界平和を希求し、戦争の惨禍を二度と繰り返さないことを誓う」とそれぞれ追悼の言葉を述べた。

 戦没者追悼の御神楽(みかぐら)の舞、玉串奉納に続き、正午には政府主催の全国戦没者追悼式のテレビ放送に合わせて黙とうをささげ、天皇陛下のお言葉に聞き入った。参列者たちは直会で「すいとん」を食べながら戦中戦後に思いをはせ、戦争を風化させることなく語り継ぐことや平和への誓いを新たにしていた。

全国戦没者追悼式に合わせ、黙とうをささげる参列者
全国戦没者追悼式に合わせ、黙とうをささげる参列者



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