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2023年(令和5年) 10月5日(木)付紙面より

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神仏習合の修験道の山から「神社」へ 「出羽三山―黎明の光を浴びて」刊行 明治初めから昭和終戦後まで 歴代宮司の事績 変革の道のりひもとく

 出羽三山神社は、神仏分離によって「神仏習合の修験道の山」から「神社」となった明治初めから昭和の太平洋戦争終戦後まで、初代から17代にわたる宮司の経歴と事績をまとめた「出羽三山―黎明(れいめい)の光を浴びて 歴代宮司を振り返る―」を刊行した。古来の神仏習合から分離という激動の荒波を受け、国家神道時代を歩んだ歴代宮司の苦難と変革の道のりについて、資料を収集・整理してひもとき、紹介している。

 明治新政府は1868(明治元)年、神社と寺院とを明確に区分する神仏分離令を出した。月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山は72年の「修験宗廃止令」によって国管理の神社となり、73年に羽黒山の「出羽神社」の国幣小社列格に伴い、初代宮司として肥前国(現佐賀県)出身の西川須賀雄が赴任した。西川宮司は在任中、月山が「国幣中社月山神社」、湯殿山が「国幣小社湯殿山神社」に列格されたのに伴い、両神社の宮司も兼ねた。

 第2代宮司は、後に「国学の大家」と称された鶴岡出身の星川清晃(きよあきら)が務め、出羽神社を「三神合祭殿」とし、額面の揮毫(きごう)を書家であり明治政府で内務大臣などの要職を担った副島種臣に依頼した。第3代宮司には、国学者で後に帝国大学教授、宮中講書始の儀の講師を務めた物集高見(もずめたかみ)赴任。神仏習合時代の冬峰を「松例祭」と改め神社の特殊神事として再興した。

 同書は宮野直生第24代宮司(今年7月18日から出羽三山神社名誉宮司)が「出羽三山に関する歴史書は明治維新以前までのものがほとんどであり、それ以降の国家神道時代の史実が記されたものは少ない。神社となって150年以上となった今、改めて史実をまとめ後世に残したい」と、10年ほど前に刊行を企画。神社職員が調査・資料収集・整理に当たり、出羽三山歴史博物館の渡部幸学芸員が取りまとめの執筆を担当した。事績の一部は2021年12月から今年1月まで計8回にわたり荘内日報紙上に連載された。

 発刊に宮野氏は「神仏分離の混乱の中、わが国の名だたる国学者が宮司を務められたこともあり、今の出羽三山神社がある。戦後、出羽三山は『信仰と観光の山』として間口を広げてきたが、出羽三山はまた『国学の山』、俳聖松尾芭蕉以来の『文学の山』でもある。この書籍が、今後の出羽三山神社の歩みの一助となることを願っている」と話した。

 同書はA5判245ページ、3000部発行(荘内日報社印刷)。2500円(税別)で、今月10日以降、出羽三山神社社務所で取り扱う。

明治から終戦後までの国家神道時代の17代にわたる宮司の事績をまとめた書籍
明治から終戦後までの国家神道時代の17代にわたる宮司の事績をまとめた書籍


2023年(令和5年) 10月5日(木)付紙面より

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マコモダケ収穫 鶴岡市の長沼地区 スライスして炒めたり天ぷらが美味

 鶴岡市の長沼地区で「マコモダケ」の収穫が始まった。

 東南アジア原産の「マコモダケ」はイネ科の多年草。古くからベトナムやタイ、カンボジアなどで茎の部分を食用にしてきた。日本では2003年ごろ三重県菰野町で栽培が始まり、国内最大の生産量を誇る。カリウムや繊維質が豊富で健康野菜としても知られる。茎の部分をスライスして油炒めや天ぷらにしてもおいしい。

 長沼地区では04年に地域の特産品にしようと「長沼マコモタケ部会」(板垣久喜代表、会員5人)を組織して栽培を始めた。例年5月の大型連休に株を植え9月中旬に収穫する。今年は猛暑の影響で2週間ほど遅れた。

 部会員の一人・富樫徹さん(66)方のほ場では3日、根元の茎が膨らんだものを選んで刈り取る作業を進めた。板垣代表(76)は「栽培面積は部会全体で25アールほどと小さいが、ようやく(マコモダケの)認知度が上がってきた。個人的にはフライパンに少なめの油を引き塩コショウで炒めるのが好き。多くの人に長沼産のマコモダケを食べてほしい」と話していた。

 収穫は今月中旬まで。近くの長沼温泉「ぽっぽの湯」産直コーナーで販売するほか、鶴岡市のイタリア料理店や湯田川温泉旅館、八百屋などに出す。

背丈2メートルほどに成長したマコモダケ
背丈2メートルほどに成長したマコモダケ

根元の茎が食用にされる
根元の茎が食用にされる


2023年(令和5年) 10月5日(木)付紙面より

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城下町の歴史・文化に理解深める 鶴岡 商議所 まち歩きの魅力再発見「木戸口めぐり」

 鶴岡市の市街地で1日、鶴岡商工会議所主催の「歴史探訪―木戸口めぐり」が行われ、参加者30人が観光ガイドの案内で解説を聞きながら旧庄内藩の鶴ケ岡城に関連した施設を訪ね歩き、城下町の歴史や文化に理解を深めて魅力に触れた。

 ユネスコ食文化創造都市の鶴岡の「食」を活用した観光振興として、2015年度から継続しているまち歩き事業「城下町探訪&ぐるめウオーク」の一環で、今回は鶴ケ岡城を取り囲むように配置されていた保安用の門「木戸口」に焦点を当てたイベントを企画。定員30人に対して、市内全域や酒田市などから100人を超える申し込みがあり、4倍近い倍率の抽選で決まった30―70代の市民が参加した。

 鶴岡市観光ガイド協議会の花岡琢也会長をはじめ同協議会のメンバー4人の案内で十日町口、三日町口、五日町口、荒町口、代官町口、高畑口、新形口、万年橋口、大山街道口、鍛冶町口、元曲師口の11の木戸口跡を巡った。11カ所の木戸口は漢字で十・一・口を組み合わせて「吉」となり、「めでたいこととされていた」など説明を受け、鶴ケ岡城三の丸を囲んで造られた「外堀(とぼり)堰」の石積み護岸、城の石垣を使って整備された内川護岸などの歴史遺産も見学した。

 約4キロの道のりの途中、菅家庭園の鑑賞、三の丸の土塁が残る大督寺での旧庄内藩主酒井家の祖・酒井忠次公の妻・碓井姫の座像(木像)拝観、老舗料亭「大多喜亭」での旬の食材を使った懐石膳の昼食や老舗菓子店巡りも組み込まれた。参加者からは「普段何気なく通っている場所に木戸口があったことを初めて知った。城下町のまち歩きの魅力を再発見できた」などの感想が寄せられた。

鶴ケ岡城周囲に設けられた11カ所の木戸口跡を巡った城下町歴史探訪
鶴ケ岡城周囲に設けられた11カ所の木戸口跡を巡った城下町歴史探訪


2023年(令和5年) 10月5日(木)付紙面より

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お気に入りの本持ち寄り紹介 鶴岡で読書会 自由に楽しく語り合う

 お気に入りの本を持ち寄って紹介し合う読書会が1日、鶴岡市の国指定重要文化財・旧風間家住宅「丙申堂」で行われた。参加者たちは雨上がりの庭の緑を楽しみながら、本にまつわる話に花を咲かせた。

 企画したのはチームまちじゅう図書館で、一昨年に解散した「読書のまち鶴岡をすすめる会」の専門部の一つ。本が読める施設をマップで紹介し、スタンプラリーも行う「まちじゅう図書館マップ」の作成や、荘内日報への「私の一冊」掲載などを引き継いだほか、2019年8月から毎年1回、読書会を開いている。これまでに旧朝日村のたにしの楽校、鶴岡・銀座通りのまちづくりスタジオ鶴岡Dadaで開催。コロナ禍で休止した年もあり、4回目となった今回は「秋、丙申堂で読書会」と題し、初めて丙申堂を貸し切って行った。

 参加したのは高校生から80代まで幅広い世代の30人。6つのグループに分かれ、座敷や茶の間にセットしたテーブルに着き、各自が持ってきた本を紹介したほか、本について自由に語り合った。

 紹介された本は、こんのひとみの「くまのこうちょうせんせい」のような絵本や樺沢紫苑の「読書脳」や藤野英人の「もしドラえもんの『ひみつ道具』が実現したら」のような実用書などさまざま。聴覚障害の周辺を扱った丸山正樹の小説『わたしのいないテーブルで』を紹介した男性は、「本を読み、映画やドラマにもつながって、手話や要約筆記の研修にも参加している。本が新しい世界を開いてくれた」と、読書が生き方に影響する例を挙げていた。

 他にも「自分では選ばないと思われる本も紹介され、興味が広がった」「実際に会って本について話ができる機会があるのはいいことだ」「丙申堂の雰囲気がとても良くて和んだ」といった感想が出された。

 同チームでは、全体会を行わない代わりに後日、紹介された本を冊子にして参加者に配布するという。

丙申堂のゆったりとした空間の中で開かれた読書会
丙申堂のゆったりとした空間の中で開かれた読書会



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