2023年(令和5年) 10月19日(木)付紙面より
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来年4月に鶴岡南高校と統合し、庄内初の中高一貫校「致道館中学・高校」となる鶴岡北高校(生徒348人)の閉校式が17日、鶴岡市の荘銀タクト鶴岡で行われた。在校生と教職員、保護者、同窓会、来賓など600人余りが出席し、明治期から続く伝統校の閉校を惜しみつつ、新校になっても誇りを受け継いでいくことを誓い合った。
式辞で難波理校長が周年記念誌や新聞などから抜粋した鶴岡北高校の歴史や伝統を紹介。明治期の生徒が残した手記を基に、3泊4日の日程で徒歩による酒田、清川(現在の庄内町)方面への修学旅行の様子や、大正期に遠距離通学者のため寄宿舎が設置され冬季には50人余りが共同生活していた逸話などを語るとともに、「鶴岡北の生徒たちはこれからも他者と協力しながら、しなやかに変化し続け力を発揮してくれると信じている」と述べた。
続いて如松同窓会の堀朋会長が「創立から時代背景や社会環境、価値観は大きく変化したが、時代が変わっても松のごとく凛として根を張る校風は変わることなく、126年の長きにわたり受け継がれてきたことに深い感謝と感慨を覚える。閉校となっても輝かしい歴史、伝統は絶えることなく引き継がれ、より広く波及していくだろう」とあいさつした。
来賓あいさつの後、在校生を代表して生徒会長の佐藤夏音さん(3年)が「北高のセーラー服を身にまとうのは自分たちが最後の学年と知り、一抹の寂しさとともに伝統の一ページに携わることをうれしく思う。伝統と誇りを胸に、校名を汚さぬよう歩んでいく」と誓った。
合唱部が旧校歌を披露した後、出席者全員で学びやへの感謝を込めて校歌を歌い上げた。
式典後は記念行事が行われ、声楽アンサンブル「Jスコラーズ」の合唱とパフォーマンスを楽しんだ。
鶴岡北高校は1897(明治30)年4月、鶴岡高等女学校として創設、同年6月に開校した。1902年4月、現在地に校舎が新築された。50(昭和25)年の鶴岡第一高校(現在の鶴岡南高)と統合し鶴岡高等学校となったが、2年後の高校再編で現在の校名となった。現校舎は88(昭和63)年に建築工事が始まり、翌年10月に完成した。
2023年(令和5年) 10月19日(木)付紙面より
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庄内地方を代表する秋の味覚「庄内柿」の出発式が17日、鶴岡市羽黒町荒川のJA庄内たがわ中部選果場で行われ、大消費地の北海道へ向け出荷された。
同JAによると、今年の作柄は春の開花期以降は順調に生育したものの夏の高温と少雨の影響で「日焼け果」が多発し、同JAの集荷見込みは豊作だった前年より500トン減の1900トンとなっている。着色はやや遅れ気味だが、果実の大きさと果重は平年並みで、果肉の充実もしっかりとしており、品質は良好という。
集荷は今月6日に始まり、早生品種の刀根早生は今月下旬、主力の平核無(ひらたねなし)は11月上旬に出荷のピークを迎える。収穫後、3日半ほどの脱渋処理を行い、出荷される。
出発式には同JAやJA全農山形園芸部、県や市の関係者約15人が出席。JA庄内たがわの海藤喜久男組合長が「厳しい気象環境の中、生産者の適切な管理で出発式を迎えることができた。愛情込めて育てられた秋の味覚を多くの人から楽しんでもらいたい」、同JA庄内柿生産組織連絡協議会の遠藤幸男会長(鶴岡市黒川)は「十分な甘みのある庄内柿が安全に消費者へ届けられることを願う」とそれぞれあいさつした。
テープカットの後、刀根早生と石橋早生合わせて1200ケース(1ケース7・5キロ)を積み込んだ鉄道コンテナ2基を載せた大型トラックが出発。JR貨物で北海道に輸送される。同JAの庄内柿は7割ほどが北海道に出荷され、首都圏・関東方面にも届けられる。