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2024年(令和6年) 3月1日(金)付紙面より

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鶴岡北高127年の学校史まとめる 如松同窓会

時代ごと写真もふんだんに 多くの世代から喜びの声

 県立鶴岡北高校如松同窓会(堀朋会長)は3月1日付で、127年の歴史を持つ同校の学校史を発行した。記念誌を除いて同校の学校史が編纂(へんさん)されたのは今回が初めて。鶴岡南高との統合による庄内初の中高一貫校「県立致道館中学・高校」の4月の開校を前に、同窓会は「近年の卒業生や在校生など若い世代からも学校史に目を通し、自分のルーツを振り返ってもらえたら」と話している。

 学校史「山形県立鶴岡北高等学校百二十七年史」は、2020年8月に如松同窓会が、いずれも鶴岡市在住で市史編纂委員の阿部博行さん(76)、鶴岡北高元教員の河口昭俊さん(64)の2人に執筆・編纂を依頼した。資料探しから始まり、昨年6月から執筆・編纂作業が本格的に始まり、堀会長や同校の難波理校長らも校正作業を担当、このほど完成した。

 本書は15章構成で、第1章「西田川郡鶴岡高等女学校の誕生」では1897(明治30)年6月1日に、朝暘尋常高等小学校馬場町分校の一部を充て開校した当時の教科目や教員などを記した。

 第2章以降は明治期、大正期、昭和の戦時下、戦後の民主教育、現校名となる県立鶴岡北高校の誕生、創立100周年の節目、閉校まで、時代ごとに学校生活や周囲の動向、生徒会やクラブの活動、初の男子生徒受け入れなどをつぶさにまとめている。

 完成した学校史を手にした堀会長は「明治期から現在まで項目ごとにきちんとまとめられており、写真もふんだんに使われている。巻末に索引もあって読みやすく、多くの世代の同窓生が感銘を受けている」と執筆者2人に謝辞を述べた。また、難校長は「開校当時から受け継いできた『氣品潑溂(きひんはつらつ)』の志を基に、鶴岡北高がどんな歴史をたどってきたか。本書を読み振り返ることで、女子教育にどれほどの期待がかけられていたのか見えてくる一冊」と評価した。

 執筆者の阿部さんは「1952年の火災で学校の心臓部が消失し、古い資料が残っていなかった。幸いにも卒業写真や学校行事を収めたアルバムが見つかり、同窓会の会報や学校新聞などを基にまとめることができた」、14年間にわたり同校で教壇に立った河口さんは「在職期間とその前後を担当した。資料集めの中でインターハイに出場した生徒の名字しか分からないなど苦労も多かった」とそれぞれ振り返った。

 学校史はA5判、544ページ、荘内日報社印刷。600部発行し、2月末まで在校生全員と事前に希望のあった同窓生、教職員、昨年10月の閉校式典に出席した来賓などへ配布し、若干残部がある。希望者に1冊4000円(税込み)で販売する。送料500円。問い合わせは鶴岡北高校内の如松同窓会事務局=電0235(24)6108=へ。

統合を前に鶴岡北高校の足跡をまとめた学校史を如松同窓会が発行した
統合を前に鶴岡北高校の足跡をまとめた学校史を如松同窓会が発行した

「鶴岡北高等学校百二十七年史」を執筆・編纂した阿部さん(前列左)と河口さん(同右)。後方は難波校長(左)と堀会長
「鶴岡北高等学校百二十七年史」を執筆・編纂した阿部さん(前列左)と河口さん(同右)。後方は難波校長(左)と堀会長


2024年(令和6年) 3月1日(金)付紙面より

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雪若丸たくさん食べてね 県内小中学校の給食でPR

 山形のブランド米「雪若丸」を使った学校給食が28日、県内の小中学校で行われた。

 県産米のおいしさをアピールしようと「山形『つや姫』『雪若丸』ブランド化戦略推進本部」が毎年、学校給食に提供している。今年は県内34市町村の小中学校や定時制高校・特別支援学校の計317校合わせて約7万9000食分を用意した。

 このうち、鶴岡市の大泉小学校(風間成彦校長、児童135人)では炊きたての雪若丸ご飯に児童たちは「おいしい」とにっこり。同校には雪若丸をPRする雪若丸クルーの佐藤絵理奈さん(25)が訪れ、3年生の教室で「雪若丸のマークにはどんな意味がある?(答え・食卓)」「県内で作られている稲のうち雪若丸の作付面積はどのくらいでしょう(答え・7%)」と子どもたちにクイズを出しながら「大粒でおいしい雪若丸をたくさん食べてください」と呼び掛けた。

「雪若丸給食」を楽しむ子どもたち=大泉小
「雪若丸給食」を楽しむ子どもたち=大泉小


2024年(令和6年) 3月1日(金)付紙面より

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日本語の学び自分の命救った マリールイズさん鶴南・鶴北講演会 教育の大切さ訴える

 ルワンダ出身で福島県在住の永遠瑠(トワリ)・マリールイズさん(58)=ルワンダの教育を考える会理事長=が27日、鶴岡市の鶴岡南高校鶴翔会館を訪れ、鶴岡南、鶴岡北の両高校1、2年生の前で講演した。マリールイズさんは内戦を生き延びた経験について語り、「日本語を学んだことが自分の命を救った」と教育の大切さを生徒たちに訴えた。

 今年4月1日の致道館中学・高校開校を前に、合併する両校の1、2年生から国際情勢に対する関心や理解を深めてもらおうと、両校の英語教員が企画した。

 講師のマリールイズさんは青年海外協力隊(JICA)の一員として来日し帰国した後、内戦に巻き込まれ、過酷な難民キャンプを経験した。日本へ避難後、ルワンダの平和には教育が不可欠と考え福島県を拠点に全国各地で講演などを展開。ルワンダの子どもたちのため現地に学校を建設するなど、教育の充実に取り組んでいる。

 こうしたマリールイズさんの活動は鶴岡南、鶴岡北の両校の生徒が1年時に学ぶ英語の教科書で紹介されている。

 両校の1、2年生合わせて600人余りが聴講。マリールイズさんは「ルワンダをみつめて~わたしたちにできる国際協力、国際貢献活動~」の演題で講演した。ルワンダの食文化や自然などを紹介した後、「植民地時代を経て1962年に独立。30年前の1994年、当時の大統領暗殺事件を機に内戦と大量虐殺が起こり、子どもたちと共に難民キャンプで厳しい生活を送った」と歴史に触れた。

 また、「かつてルワンダの教育は男性優先。女性は年頃になるとお嫁に行き、結婚祝い金が子どもの教育費となった。私の母は男も女も平等に教育を受けるべきという信念を持っており、私は高校を卒業することができた」と述べ、「福島県のホームステイ先のおばあちゃんが厳しく指導してくれたおかげで、2カ月で日本語を話せるようになった」と語った。

 こうした体験を基にマリールイズさんは「人生で出会う全てが宝物。多くの出会いがあったから高校を卒業でき、日本に来られた。いま皆さんが教育を受けられているのは平和な日本だから。戦時下にあるウクライナやガザ地区に思いをはせてほしい」と呼び掛けた。

 さらに「福島のおばあちゃんの厳しい指導で日本語を覚えた。間違えた学びは一生そのまま。間違えを注意してくれる周囲にきちんと向き合わないと、自分にとってのチャンスを投げ捨てることになる」と話した。

ルワンダの内戦や日本での暮らしなどを語るマリールイズさん
ルワンダの内戦や日本での暮らしなどを語るマリールイズさん



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