2016年(平成28年) 11月1日(火)付紙面より
ツイート
酒田市大火(酒田大火、発生1976年10月29日)の発生から丸40年となった29日夕、大火当時に消防ポンプの放水の幕で延焼を食い止めた同市東栄町の新井田川左岸で、この水幕を再現した一斉放水が行われた。大勢の市民が見入り、防災への決意を新たにした。
酒田大火は10月29日午後5時40分ごろ、同市中町二丁目の映画館「グリーンハウス」から出火した。最大瞬間風速約27メートルという強風によって南東側に延焼。翌30日午前5時に鎮火するまで約11時間にわたり燃え続けた。東京ドーム約5個分に相当する約22・5ヘクタールを焼失し、1774棟を焼損、約3300人が被災し、当時の消防長の上林銀一郎氏が死亡、1003人が負傷、損害額は405億円に上った。
当時、消防署員になって2年目だった酒田地区広域行政組合消防本部の土井寿信消防長(60)によると、風下から放水しても、強風のため水がしぶきになって飛散し、炎まで届かなかった。大きな火の玉が頭上を飛び越え、いつの間にか後ろで火の手が上がることの繰り返しだった。新井田川を延焼を食い止める最後のとりでとして、30日午前1時ごろから、左岸の土手に消防ポンプ約70台を並べて垂直に放水した。燃料補給に走り回るなどし、鎮火まで放水を続けた。しかし、土井消防長は「朝に戦争の後のような焼け野原を見た時、負けたと思った。悔しかった」と振り返る。
この日午後5時20分から新井田川左岸で行われた一斉放水のセレモニーでは、上林氏の冥福を祈って黙とう。丸山至市長が「あの時の恐怖を忘れず、防災都市酒田のまちづくりを進めるため、教訓をしっかり次の世代に引き継ごう」とあいさつ。酒田地区婦人防火クラブ連絡協議会の池田昌子会長が「地域、市民、行政が一丸となり、災害のない、安心して暮らせるまちづくりを進める」と防火の誓いを述べた。
新井田川左岸には、市消防団と消防本部の計約130人が約150メートルにわたり、小型ポンプ18台と消防本部のポンプ車2台の計20台を配置。大火発生時間に合わせて午後5時40分、サイレンの合図とともに新井田川に1分間、一斉放水した。対岸から水幕がライトアップされると、川岸で見守った市民数百人の中には当時を思い出してか涙ぐむ人もいた。
土井消防長は「40年前にここで食い止めることができた。その様子を再現して市民に見てもった。もう酒田では大火を起こさないという決意を新たにしたのでは」と話した。