2024年(令和6年) 9月25日(水)付紙面より
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酒田市日本遺産推進協議会が主催した講座「北前船と日本遺産から知る歴史セミナー」が23日、同市の日和山小幡楼2階和室で開かれ、同市の本間美術館で事務長を務める清野誠さんが、江戸―明治期に遠隔地交易の主役だった「北前船」と、同市も構成自治体に名を連ねる日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」について分かりやすく解説した。
北前船は主として江戸期に日本海海運に用いた船を指す。伊勢商人・河村瑞賢翁(1618―99年)が1672年、幕府直轄領の米を大坂、江戸まで効率よく大量に輸送するため「西廻り航路」を整備し隆盛。物流の主役が鉄道に取って代わるまで多くの人、物、文化を運んだ。本県舟運の終点となる最上川河口部に位置する酒田は流域の農村から紅花や米、大豆などが集められ、さらに全国各地との交易も盛んになって飛躍的に栄えた。
西廻り航路を活用した北前船の往来が寄港地にもたらした繁栄こそ、日本遺産認定ストーリー。同市の構成文化財は憩いの場となっている日和山公園、船主らが利用した料亭、国指定史跡「山居倉庫」など。それまで点だったこれら地域に残る文化遺産を、認定ストーリーを通して面的につなぎ合わせて発信力を高めるなど日本遺産を活用したにぎわい創出、地域活性化に向けて市は2017年、推進協を設立した。
この日は若い世代を中心に市民ら約40人が参加。清野さんは市職員当時、文化庁と折衝するなど日本遺産認定に携わった経緯があり、ストーリーの概要などを解説。「キーワードは『異空間』。交易による富は船主・船頭だけでなく、寄港地にももたらした。その繁栄ぶりは近隣農村や城下とは異なる景観を生み出し、特色ある町を形成した」と述べた。
本間美術館所蔵の構成文化財「酒田袖之浦・小屋之浜之図」や江戸期に書かれた書物をひもといて、「冬季を除きおよそ8カ月間の入船数は2500―3000隻に達した。これによって酒田の町も拡大していった」と。さらに「酒田湊は1カ所ではなく、3カ所に分散していた。荷物の積み替えなど行う港湾労働者も数多く必要だったと思われる」と続けた。
会場には観光について学んでいる高校生の姿も。メモを取るなど熱心に聴講していた。