文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

荘内日報ニュース


日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ
  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る

2024年(令和6年) 1月5日(金)付紙面より

ツイート

没後160年功績や足跡たどる 亀ノ尾の里資料館 「清河八郎の軌跡」展 庄内町

 庄内町の亀ノ尾の里資料館で「草莽(そうもう)の志士 清河八郎の軌跡」が開かれ、書簡など当時の八郎の足跡を示す貴重な史料が展示されている。

 八郎は1830(天保元)年10月10日、出羽国田川郡清川村(現・庄内町)に生まれた。幕末の激動期、諸外国から日本を守るため、対等な立場で交易を進めるべきと考え、横浜の外国人居留地の焼き打ちを決行するなど尊王攘夷運動を推進。そうした行動が仇(あだ)となり、63(文久3)年34歳の若さで幕府側の刺客に暗殺された。八郎が組織した浪士組を母体に、会津藩による京都警護の「新選組」、庄内藩による江戸警護の「新徴組」が誕生している。

 今回は八郎の没後160年を記念し、その功績や思想、足跡などを振り返ろうと同町清川の清河八郎記念館の協力で企画。八郎が記した書簡や浪士組に関する史料など約20点を展示した。

 このうち、「廻状留浪士方取締役」(町指定文化財)は浪士組上洛の際、藩士取締役を務めていた山岡鉄舟が書いた名簿には後に新選組に参加する近藤勇や土方歳三らの名も記されている。また、八郎が父親に宛てた書簡「遺芳萬年」(町指定文化財)は暗殺前日に書かれたもので、浪士組の責任は自分と山岡にあること、自分の荷物の預け先を記すなど死を予感していたとも読み取れる貴重な史料。展示は2月12日(月)まで。

八郎の書簡など貴重な史料が展示されている
八郎の書簡など貴重な史料が展示されている



日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ

記事の検索

■ 発行月による検索
年  月 

※年・月を指定し移動ボタンをクリックしてください。
※2005年4月分より検索可能です。

 
■ キーワードによる検索
   

※お探しのキーワードを入力し「検索」ボタンをクリックしてください。
※複数のキーワードを指定する場合は半角スペースを空けてください。

  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field