2006年(平成18年) 2月18日(土)付紙面より
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鶴岡市在住の劇作家で元小学校長の山崎誠助さん(93)=家中新町=の著作集「遙かなる道程(どうてい)を」が門下生たちの手で刊行された。劇団を率いて芸術文化活動に力を注いだ山崎さんの回想録や随筆、戯曲、詩、写真などの代表作のほか、著作集のために門下生と行った8回の座談も収録。「生命の連帯感」を追求した芸術家、教育者としての活動、人生観が集約されている。
山崎さんは朝暘一小に勤務していた1946年、「これからは人間の連帯感が社会を構築する基本。それを芸術、文化で表現するには劇団員同士と観客が対話する戯曲以外にない」と演劇活動をライフワークにすることを決意。教職員、児童による学校演劇の上演を開始した。「娯楽のない時代だった」こともあり、毎回1500人以上が観劇する盛況だった。
翌年、職員と児童有志による鶴岡演劇研究会は、NHK鶴岡放送劇団・放送児童劇団へと移行し、同局のラジオドラマを担当した。山崎さんが台本を書き、テレビ時代が到来した64年までの18年間で、約1500本のドラマを世に送り出した。
ラジオとの決別を機に劇団名を「麦の会」に改称。団員の1人が発した一言をきっかけに、「踏まれても踏まれても生きて芽を出す」麦に劇団の姿をだぶらせ、活動は舞台公演へと転換した。麦の会はアマチュア劇団として息の長い活動を続け、山崎さんが現在も代表を務め、脚本も書いている。
山崎さんは、戯曲のほか詩や随筆、ビデオカメラによる風景撮影なども手がけた。講演依頼も多く、60年間で約6000回を数えた。芸術、文化活動への取り組みが高く評価され、齋藤茂吉文化賞、高山樗牛賞、県教育功労者表彰、鶴岡市特別文化功績賞などを受賞。96年からは同市芸術文化協会の会長を務めている。
教育者としては県教委の指導主事などを経て押切小と藤島小で校長を務め、72年に退職。95年秋には教育功労で勲五等瑞宝章を受章した。
2003年11月にNHK鶴岡放送児童劇団のOB会が開かれた際、創成期の団員たちが「仕事や人生観などを含め系統的に活字にして残したい」と著作集の刊行を提案した。「あれよあれよという間に手分けしてやってくれ」(山崎さん)、発案から2年余りで著作集が完成した。
著作集は、教育や演劇、芸術文化をテーマにした多彩な著作や随筆、詩、写真のほか、教育や劇団、人生観などについて語った8回の座談、山崎さんが自ら選んだ戯曲3作などで構成。資料として著作目録、講演記録、年譜が添えてある。
山崎さんは「戯曲を書くのが私の命の証。命ある限り、庄内人が持っている愛の誠を描き続けたい」と抱負を語り、「科学を信奉した結果、人間がつくりあげたものが核兵器。悪なる知恵を振りかざしても未来はない。人類には愛と生命の連帯感が必要だ」とメッセージを送る。
著作集はA5判、593ページ。18日に出版記念祝賀会が開かれる。市販はしていないが、希望者には実費で販売する。問い合わせは、著作集刊行委員会事務局の石田雄さん=電0235(23)7837=へ
山崎さんの著作集「遙かなる道程を」