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2006年(平成18年) 4月15日(土)付紙面より

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相談活動を高く評価 大井健さん全国表彰

 パーキンソン病友の会庄内支部長の大井健さん(64)=鶴岡市稲生一丁目=がこのほど、明るく前向きに生きるパーキンソン病患者や支援者をたたえる全国表彰「リリー・ビューティフルライフアワード」(日本イーライリリー社主催)で、患者部門のゲスト審査員賞を受賞した。難病のパーキンソン病と長年闘いながら、ライフワークの木彫刻や、友の会庄内支部長として病に悩む人たちの相談活動に情熱を傾けていることが高く評価された。

 パーキンソン病は、脳の出す運動指令がうまく伝わらず、筋肉の固縮やしびれなど体の機能にさまざまな障害が出る難病。

 大井さんは30代に発症してから約30年間、病と闘っている。毎日数時間ごとに服用する薬で症状を抑えている状態で、それでも年に何度か入退院を繰り返している。

 病に悩み、自暴自棄になった時期もあったが、12年前に生きがいとなる木彫刻と出合った。自宅から5キロ離れた湯田川地区の山林に山小屋風の工房を建て、仏像づくりに取り組み、一昨年には彫刻の個展を開いた。

 昨年2月に結成されたパーキンソン友の会庄内支部では「長年の自分の経験を生かせれば」と支部長を引き受けた。

 現在、大井さんのもとには毎日のように、友の会のメンバーや同じ病に悩む人、その家族から相談の電話が入る。そうした相談に大井さんは「病に向き合い、自分の体を理解すれば今より症状を楽にすることができる。みんなで頑張っていきましょう」と語りかけ、悩みを共有できる地域の仲間を紹介する。

 大井さんを介し、交流の輪が広がり、結成時27人だった友の会庄内支部のメンバーは1年間で40人を超えた。大井さんは「表彰を受けたことは友の会の活動の励みになる。同じ病に悩む人との交流の輪を広げたい」と喜びを。また、「一人で病に悩み、引きこもっている人がまだまだいるはず。励まし、励まされ、みんなで支えあうことができれば。これからもそうした交流の“橋渡し役”を担っていければ」と語った。

 友の会庄内支部では6月10日に鶴岡市ゆうあいプラザ「かたぐるま」でパーキンソン病の医療相談会を開催する。だれでも参加できる。詳しい問い合わせは大井さん=電090(5232)5848=へ。

記念の盾を手にする大井さん
記念の盾を手にする大井さん


2006年(平成18年) 4月15日(土)付紙面より

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ルーツは中国北部? 来歴不明の鵜渡川原胡瓜 地域史研究家が証言得る

 酒田市亀ケ崎地区で栽培されてきた来歴不明の伝統野菜・鵜渡川原胡瓜(うどがわらきゅうり)の種子が、日露戦争(1904―05年)の従軍兵士が中国東北部から持ち込んだ可能性があることが分かった。地元の歴史研究家が帰還兵から聞き出していた。特性からシベリア系とみられていた以外、鵜渡川原胡瓜のルーツに関する情報は確認されておらず、専門家も「貴重な証言で信ぴょう性は高い」とみている。

 鵜渡川原胡瓜は酒田胡瓜とも呼ばれる。酒田市の大町や旧鵜渡川原村(現亀ケ崎地区の一部)で古くから栽培されてきた。一般的なキュウリに比べ果実が楕円(だえん)形で短く果肉が締まり、独特の苦みがある。酒田の夏を代表する味覚で、漬物用に使われている。

 元山形大農学部教授の故青葉高博士は、76年に出版された「北国の野菜風土誌」の中で、「江戸時代から作られたもので、シベリア方面から入った」と鵜渡川原胡瓜の来歴について解説。「出羽風土略記」(1762年)の記述で飽海の産物として「鵜渡川原瓜」が出ていることも挙げ、「現在の鵜渡川原胡瓜かその祖先とみてよいだろう」と推測している。

 ただ、「酒田胡瓜の正確な来歴は知られていない。シベリア胡瓜の馴化種であることは間違いないが、直接酒田に入ったか、他地方から移ったかは明らかでない」と結んでおり、そのルーツを裏付ける史料は確認されていない。「鵜渡川原瓜」がキュウリではなくウリを指す可能性も否定できず、実際は来歴不明だった。

 ところが、亀ケ崎地区在住で「亀ケ崎史」の編集委員を務めるなど地元の歴史を研究している東根敏夫さん(91)が日露戦争の従軍兵士から「自分が持ち帰った」という証言を聞き出していた。

 東根さんによると20年以上前に地域の従軍者たちの会合が開かれた際、出席者の一人が「日露戦争に出兵した帰り、満州から土産として種を持ってきた。自宅の畑に植えたら、ぱっと地域に広まった」と語った。東根さんは「うまくて珍しかったのでみんなが植えるようになったのでは」と推測する。

 また、「自分も昭和12年から20年まで満州にいたが、同じようなキュウリを現地で見た。鵜渡川原にある胡瓜はあれだったのかと思った」と語った。これまで公表しなかった理由について「自分の専門は歴史調査で農作物には関心がなかったから」と説明する。話を聞いた元従軍者はその後亡くなったが、証言したのが誰だったかまでは記憶していないという。

 在来野菜を研究している山形大農学部の江頭宏昌助教授は「貴重な証言で信ぴょう性は高いと思う。もっと早く分かっていれば、直接話を聞くことができたのに」と残念がり、「証言が正しいとしても、鵜渡川原胡瓜が地域の人に愛された在来野菜であることには変わりはない」と続けた。

 江頭助教授は「酒田では幅三寸、長さ八寸という徳利型の三八(さんはち)大根も栽培されていた。ほかにも消えてしまった貴重な在来野菜は多い。情報があれば教えてほしい」と呼びかけている。

一般的なキュウリに比べ鵜渡川原胡瓜の実は楕円形で短く太い
一般的なキュウリに比べ鵜渡川原胡瓜の実は楕円形で短く太い



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