2006年(平成18年) 5月27日(土)付紙面より
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酒田市飛島出身者を中心とする中型イカ釣り船団「山形船団船友漁撈長会」=本間健船団長(50)酒田市緑ケ丘、16隻=の出航式が来月2日、同市の酒田港本港袖岡ふ頭で行われる。漁獲量が全国トップクラスの船による「日本一のイカ釣り船団」で、近年は大がかりな出航式は行っていなかったが、「港まち・酒田」を内外にアピールしたいという市の意向もあって、市を挙げて見送る。当日は8隻が一斉に出航、汽笛を鳴らしながら港内を1周し、約半年間にわたる漁に繰り出す。
中型イカ釣り船は160―180トン級で、主に夏場に日本海や太平洋の沿岸でスルメイカ(真イカ)を追って操業する。船団を形成し、漁場の情報をやり取りしながら移動し、その時々の相場などを踏まえて全国各地の港に水揚げしている。
山形船団は、船籍は北海道から石川県までさまざまだが、大半の船長は飛島出身という縁。6月初旬から12月初旬ごろまで、日本海中部の漁場「大和堆」を中心に操業している。
本間船団長が船長兼漁撈長を務める「第85若潮丸」(183トン、乗組員9人)の近年の年間漁獲高が2億円前後など、「例年、全国ベスト3をうちの船が占めるという感じ」(本間船団長)の「日本一の船団」だ。
一度、陸を離れれば、最低で2週間、長いときで40日は出漁。豊漁となれば、船の周囲はイカだらけになり、3日間不眠不休で操業するときも。多いときで10万ケース(1ケース8キロ)前後を水揚げする。
本間船団長は「漁師なら他人より多く捕りたいという思いはあるが、うちではチームワークを大切に、気持ちを一つにして情報を教え合って頑張っている。まず事故がないように努め、その上で少しでも多くの水揚げができるように頑張りたい」と今期の出漁への思いを語る。
出航式は2日正午から袖岡ふ頭で。市や市議会、県漁協の関係者らが、豊漁と安全を願って見送りする。市では、活気ある港への願いを込め、一般市民にも見送りへの参加を呼びかけている。
酒田港袖岡ふ頭で出漁の準備を進めている山形船団
2006年(平成18年) 5月27日(土)付紙面より
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荘内日報社の元代表取締役社長で、高研相談役、鶴岡市行政顧問などを務めた故秋山太一郎氏=東京都新宿区=の遺族がこのほど、故人の遺志を継ぎ「鶴岡の子供たちのために」と、鶴岡市に3000万円を寄付した。
秋山氏は、鶴岡市出身で東京帝国大(現東京大)医学部を卒業。医学博士。医療用高分子の研究に取り組み、1959年に日本高分子材料研究所と高研を設立。模倣を嫌い、独自性を追求。研究、開発、生産に取り組み、合成高分子、医用シリコーンの開発を進め、その応用により医療用機材として生体モデルも開発、医療技術の向上に貢献した。生体モデルの開発では第1回科学技術庁長官賞を受賞した。
出身地である庄内をこよなく愛し、77年には鶴岡市に高研の工場を開設。86年には荘内日報社社長に就任した。87年に勲四等瑞宝章を受章。酒田市産業振興専門員、朝日村行政顧問などを歴任した。今年1月5日、90歳で亡くなった。
秋山氏の遺族は23日に市役所を訪れ、寄付を正式に申し入れた。荘内日報の取材に遺族は「故人は大好きな鶴岡のために何とか役立ちたいという気持ちが強かった。事業家でもあったが『研究している時が一番楽しい』と話していた。子供たちから科学に高い興味と意識を持ってもらえるよう、役立てていただけたら」と話した。市では市教育委員会で基金を創設し、青少年の科学研究などの活用を考えている。