2006年(平成18年) 6月29日(木)付紙面より
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三川町横山の泉蔵寺(上野元芳住職)の前住職で故人の上野透宗さんが記した「三體千字文(さんたいせんじもん)」がこのほど新装丁でつくられた。上野住職は「10代半ばから筆をとり、書に生きてきた前住職が一字一字丁寧に書き連ねたすばらしいもの」と話している。
三體千字文は、四字一句の250句の文字からなるもので、古代中国から児童が文字を学ぶための初歩の教科書として利用された。日本でも習字の手本として古くから親しまれている。「三體(体)」の文字が表すように、楷・行・草の3つの書体で書かれているのが特徴。
透宗さんが千字文を記したきっかけは、1969年春に同じ横山地区に住んでいた大学生の植木茂子さん(旧姓・城)が「書の勉強のため、千字文を一生の手本としたい」と依頼したこと。当時86歳の透宗さんは快く引き受け、寺の奥の部屋に数週間こもり書き上げた。
透宗さんは74年6月18日に91歳の生涯を閉じたが、植木さんは嫁ぎ先の東京都大島の寺院でも千字文を大事に保管した。88年の三原山大噴火による全島民の避難の際も「一切の荷物は持たないように」という指示が出ていたが、植木さんは千字文だけは避難先でも肌身離さなかったという。
今年は透宗さんの33回忌にあたり、上野住職は「能書の人だった先師が記した千字文を復刻させたい」として昨年9月に植木さんへ千字文の貸与を依頼した。植木さんが送ってきた原本をもとに、上野住職は故人の写真など資料を集め、復刻作業は半年ほどかかった。
今月5日に復刻版の千字文500部が完成し、同11日に執り行われた33回忌法要で参列者約100人に配られた。復刻版は植木さんの元にも送られ、「立派な本ができ、感激して涙が出た」とお礼の電話が上野住職へ届いたという。
上野住職自身も書にかかわり、書道教室などで講師を務めているが「まだまだ先師の足元にも及ばない」と話す。また、「先師の書に対する姿勢は、丁寧に書くことに尽きる。筆、ボールペンなどにかかわらず、ちょっとしたメモでも文字を書く時はしっかりとした姿勢できちんと書いていた」と思い出を語った。
千字文は若干数が残っているという。問い合わせなどは泉蔵寺=電0235(66)4355=まで。
故・上野透宗さんの書を背に、先師の思い出を語る上野住職。向かって右が千字文の原本
2006年(平成18年) 6月29日(木)付紙面より
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日本海沿岸東北自動車道建設促進新潟・山形県境地区期成同盟会(会長・大滝平正山北町長)の本年度建設促進大会が27日、鶴岡市温海ふれあいセンターで開かれ、県境を含む日沿道の早期完成に向け、関係機関に強く要望していくことを確認した。
同期成同盟会は、県境を越えて効果的な運動を展開しようと1989年に山北町と旧温海町で結成した。市町村合併で昨年10月1日に新・鶴岡市が発足したことに伴い、名称を「県境地区」に変更、今回が変更後初めての開催となった。
日沿道の整備は現在、山形県側が温海インターチェンジ(IC)―鶴岡ジャンクション(JCT)間が国の新直轄方式で整備が進められている。一方、新潟県側は今年2月7日に開催された第2回国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)で、荒川IC―朝日IC間約20キロについて新直轄方式による整備が確定した。
大会には、大滝・山北、富塚陽一・鶴岡の両市町長、新潟3区選出の稲葉大和代議士、両市町、国交省東北地方整備局と北陸地方整備局の関係者など約500人が出席した。大滝会長が「あらゆる方法を採用して一日でも早く県境部分を整備することを望む」とあいさつ。続いて▽朝日―山北―温海間について早期に整備方式を決定すること▽高速道整備は国の責任で着実に整備促進すること―などとする大会決議を採択した。
また、大会を前に特別講演が行われ、国交省東北地方整備局道路調査官の冨樫篤英氏が「道路行政を取り巻く現状」と題して話した。
日沿道新潟・山形県境間の早期建設の実現を決議した促進大会