2006年(平成18年) 7月21日(金)付紙面より
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第88回全国高校野球選手権山形大会は21日、2球場で準々決勝が行われ、県野球場第1試合の酒田東―鶴岡南は、先行した酒田東に鶴岡南が追いつき、7回終了時点で6―6の同点となった。8回表の鶴岡南の攻撃途中で降雨のため試合が中断し、天候の回復を待ったが、試合続行は無理と判断した。7回まで終えているため試合成立し、7回降雨コールドで6―6の引き分け、22日午前10時から再試合を行う。天童市スポーツセンター野球場第1試合の酒田南―山形城北は5回終了後に雨で試合が中断、ノーゲームとなった。県高野連は、21日天童市野球場の試合入場券の払い戻しに応じる。22日の入場券にも使うことが出来る。22日に準決勝4試合を行い、23日は調整日、準決勝は24日、決勝は25日の予定。
◇準々決勝
(県野球場)
鶴岡南
0000024 6
0120300 6
酒田東
(7回降雨コールド)
(鶴)五十嵐、梅木―庄司、田宮(酒)後藤貴、後藤駿―登坂
▽三塁打=登坂(酒)▽二塁打=大沼(鶴)伊藤、土田(酒)
○…酒田東は2回、2死満塁から鶴岡南のバッテリーエラーの間に三走・土田が生還し先制。3回に2点を加え、5回にも1死二、三塁の好機で、登坂の右中間を破る三塁打などで3点を奪い試合の主導権を握った。
5回まで無得点の鶴岡南は6回、無死一、二塁とし、加藤の左前適時打などで2点を返した。7回には1死一、二塁から大沼、五十嵐、加藤の3連打や石塚の右犠飛で一挙4点を奪い同点に追いついた。
2006年(平成18年) 7月21日(金)付紙面より
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戦後を代表する女流詩人で今年2月に亡くなった茨木のり子さん(本姓・三浦)が眠る鶴岡市加茂の高台にある浄禅寺(西方信夫住職)に、詩集などを集めた「茨木のり子コーナー」が設けられた。西方住職は「庄内に縁があったということはあまり知られていない。そうした縁を伝えるとともに、故人をしのぶ場所の一つになれば」と話している。
茨木さんは1926年、大阪生まれ。幼年期を愛知県西尾市で過ごした。帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現東邦大)在学中に学徒動員され、19歳のときに終戦を迎えた。その後、繰り上げ卒業し、戯曲や童話を書き始めた。
49年に鶴岡市出身の医師・三浦安信氏と結婚。結婚後、本格的に詩作に取り組み、同人誌「櫂(かい)」を創刊するなど発表を続けた。みずみずしい言葉で紡がれる作品は批判精神に富み、代表作に反戦の思いを込めた「わたしが一番きれいだったとき」、「倚(よ)りかからず」などがある。
31年前に亡くなったご主人が鶴岡出身だったほか、茨木さんの母親も三川町出身。こうした縁で近年も何度か鶴岡を訪れたことがあったという。
茨木さんは生前、「私の意志で葬儀・お別れ会は何もいたしません」という最後の“あいさつ状”を準備していた。このため親族で密葬を済ませ、4月2日に三浦家の菩提寺の浄禅寺で納骨法要が行われた。西方住職は「『やっと夫婦一緒になれる』と親族の方がおっしゃっていた」と話す。
茨木さんのコーナーの設置は、新盆を迎え、「多くの方に知ってほしい」と本堂の一角に設けた。詩集や写真のほか、西方住職が集めた茨木さんに関する新聞記事や雑誌のスクラップ、最後のあいさつ状も公開。7月の盆で訪れた檀家の中には、「ファンだったので驚いた」と、著名な女流詩人と菩提寺が同じことに感動する人もいたという。
西方住職は「あらためて詩集を読んでみると、心に突き刺さってくるものがある。同じような思いを抱いたファンの方々が故人をしのび、何かを感じるような場所になれば」と話していた。見学料は特に必要ない。問い合わせなどは同寺=電0235(33)3107=へ。
鶴岡との縁も深かった茨木のり子さんを追悼するコーナー。奥は西方住職
2006年(平成18年) 7月21日(金)付紙面より
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鶴岡市小岩川で土砂崩れが発生してから20日で1週間が経過した。不通となっているJR羽越本線は応急の復旧工事が行われているが、開通のめどはたっていない。国道7号も片側交互通行が続く。物流関係への影響もじわり広がり、帰省シーズンを控え、長期化を懸念する声も出ている。
JRによる応急の復旧工事は16日夜に始まった。工事用機械や土砂を搬入出するための仮設道路の整備が現場の北と南、2カ所で進んでおり、一両日中にも完成する。
その後、線路を覆っている土砂の搬出と崩落斜面に残るコンクリート壁の撤去作業を並行して行い、線路防護柵の設置に入るというスケジュールが想定されている。土砂の搬出は、酒田河川国道事務所が進めている国道7号の防護柵完成後になる。線路防護柵の設置範囲などは決まっていない。
羽越線の開通には崩落した斜面の安全が確保されることが前提。斜面の補修工事をどのような形で行うかも未定で、羽越線の開通時期についてJR新潟支社は「できるだけ早い時期に開通できるよう努力しているが、いつになるか見通しは立っていない」とする。
15日に全面通行止めから片側交互通行に切り替わった国道7号でも復旧工事が行われている。酒田河川国道事務所は、国道への土砂の流入を防ぐため、線路と国道の間で、延長80メートルの防護柵を設置する。42本の支柱のうち19日までに16本の設置を終えた。
順調に進めば、数日後には完成するとみられるが、19日夜には崩落斜面の上の部分で、不安定な数個の石が確認され、撤去作業のため24分間、国道7号は通行止めとなった。天候や地盤など不安定な要素を抱えているため、国道の全面開通の時期もはっきりしない。
関西、九州方面に製造した工業薬品などを、工場に隣接するJR羽前水沢駅から輸送している鶴岡市の水澤化学水沢工場では20日から、コンテナを直接積載できるトラックによる輸送を始めた。また、円筒形10トンバルブタンクによる鉄道輸送ができないため、内容物をほかの容器に詰め替えてトラックで輸送しているという。
しかし、同工場では「コンテナを積めるトラックは1台だけで、21日以降のめどは立っていない。ほかの会社でもトラック輸送に切り替える中、長期化するとさらにトラック確保が厳しくなる。できるだけ早く復旧してほしい」と話し、早期復旧が見込めない中、代替輸送の方法に頭を悩ませている。
また、新潟方面に鉄路で製品輸送している鶴岡市のブルボン羽黒工場によると、通常、同工場から新潟工場までJR酒田港駅経由で運んでいる製品をトラック輸送に切り替えて対応している。同工場の物流担当者は「製造関係は問題ないが、一度に運べる量が鉄道貨物より少ないため、長期化するとコスト面に響いてくる。できるだけ早く復旧してほしい」と話している。
一方、夏休みシーズンを前に観光面での影響も少なからず懸念される。鶴岡市内の各温泉地の旅館、ホテルへの影響について庄内観光コンベンション協会では「初期の段階ではキャンセルもあったが、各旅館、ホテルでう回路の案内などを徹底したことで最小限に食い止めた状況」と話す。また、海水浴客への影響については「海水浴客は内陸、仙台方面が多数のため影響は少ないことを期待している」と語っている。
復旧に向けた工事が進められている鶴岡市小岩川の土砂災害現場=20日午前