2008年(平成20年) 10月15日(水)付紙面より
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松山藩荻野流砲術の演武が12日、酒田市生涯学習施設「里仁館」グラウンドで繰り広げられた。砲術隊長の指揮で隊員が整列。「放てー」の合図で引き金を引くと銃の筒先から炎と白煙が吹き出し、ごう音が辺りに響き渡った。
荻野流砲術は、1661(寛文元)年に明石藩(現兵庫県)の荻野六兵衛安重が創設。型や隊列などに厳しく、実戦向きの流儀とされる。松山藩では1807(文化4)年に藩士が大阪の荻野流宗家に入門。翌年に免許皆伝を得て砲術師範を務めたのが始まり。幕末の戊辰戦争で庄内藩が各地で勝利する原動力になったが、藩の廃止とともに砲術隊も姿を消した。
1990年に砲術隊の復活構想が検討され、その後、旧松山町内の猟友会に呼び掛けて隊員を募集。専門家を招いて学び、97年6月の松山藩時代まつりで演武を初披露した。98年には松山藩荻野流砲術伝承保存会(山中俊会長)が発足。近年は5月1日の松山まつりなどで披露している。
この日は、隊長の「火縄を付け」「火ぶたを切れ」「構えて」「放て」の号令に合わせて隊員9人が「立ち放ち」「ひざ放ち」「腰放ち」の3姿勢で射撃を披露。迫力あふれる演武に詰め掛けた観客は息をのみ、一段落するたびに大きな拍手を送っていた。
ごう音と白煙が立ち込めた松山藩荻野流砲術隊の演武
2008年(平成20年) 10月15日(水)付紙面より
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鳥海山に秋の深まりを告げる「神鹿角切祭」が13日、遊佐町の同山中腹にある国民宿舎「大平山荘」で行われた。訪れた大勢の行楽客の前で同町の少年町長らが長く伸びた雄ジカの角を切り落とした。
同山荘の一角にある鹿公園では例年、5月下旬から10月までニホンジカが飼われ、行楽客や登山者の人気を集めている。現在の頭数は27頭。そばに鳥海山大物忌神社中の口宮が祭ってあることから、夏をここで過ごした鹿を「神鹿」と呼び、角切祭は毎年この時期に行われている。
鹿の角はご利益があるとされ、例年、抽選で当たる角を目当てに大勢の行楽客が訪れている。
この日は秋晴れに恵まれ、紅葉で見事に色づいた山をバックにした特設舞台で角切祭。神事の後、神職の装束で登場した少年町長の高橋圭太君(遊佐高2年)と少年議員の西山拓君(同高3年)の2人が、30センチほどまで伸びた雄ジカ2頭の角を糸ノコで切り落とした。
その後、抽選会や鳥海太鼓の演奏、いも煮の無料サービスなどが行われ、家族連れなどは秋の一日を存分に楽しんでいた。
少年町長らが雄ジカの角を切り落とした