2009年(平成21年) 8月5日(水)付紙面より
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頑張った分、自分に戻る
奉公人からあばへ
大正9(1920)年9月20日生まれ。もうじき89歳の誕生日を迎える鶴岡市加茂の坂本冨野さんは、いたって達者だ。県庄内保健所発行の「魚介類行商登録票」を持つ現役あばでは最高齢者だ。
あばになる時、母・染さん(1951年、64歳で他界)から言われた言葉は、「この商売は自分が社長で、自分が配達して、自分で事務も取らねばならない。大変なことだが、頑張った分は自分に戻ってくる」だった。
小学校高等科1年、14歳の年に加茂の大地主・安達家に子守り奉公に出た。「もう少し年かさの子か、高等科2年を終えると、北海道方面に出稼ぎに行く娘たちが多かったが、何としても今奉公に来てほしいと頼まれて…」のことだった。
大勢の使用人を抱える地主、商家、漁家はどこも子守りを必要とした。21歳まで奉公を務めて実家に戻った。父親の看病で染さんが行商できなくなったためだ。染さんに代わってあばになったのは22歳の時。「あばの仕事はあまり気は進まなかったども、家のため自分が働くしかながったなや…」。間もなく祖父が86歳で、父も59歳で1週間のうちに相次いで亡くなった。
支払いは信用
以前は家のすぐ前にある山形県漁協加茂支所で魚を仕入れていたが、同支所の競りが97(平成9)年に廃止され、由良支所に一本化された。加茂支所時代に競りで使った名前は、染さんの代からの「フジ」。由良支所に移ってからは「23番」と呼ばれている。
午後4時すぎ、競りが始まる1時間前の由良支所に坂本さんの姿があった。市場の片隅の小さないすに腰をかけ、仕入れ伝票と照らし合わせながら支払い代金を数えている。「支払いが滞れば競りさ参加でぎなぐなんなや。支払いは一番大事だ、商いは信用ださげ」。眼鏡なしでも伝票の数字が読める。
支払いの計算が済むと床に並んだ魚を見て回り、5時から始まる競りに備えて目星を付ける。「この台車(魚運搬用)さたごつがねど(つかまらないと)歩がいねぐなってやー、まんず、なさげねぐなったもんだ」―。床に置かれた魚箱につまずいて、ほかの人に迷惑を掛けてはいけないという気遣いからのことで、あば一筋に懸ける気力は体力の衰えを上回る。
家族の迎えの車で家に帰るのは午後8時前。支所で下処理する魚もあるが、ウロコを取るコダイや刺身にする魚は家に戻ってから丁寧にさばく。晩ご飯を食べて風呂に入り、床に就くのは10時。
病を友にして
仕入れも行商もそれぞれ週2回。昔に比べて無理をしなくなった。2週間に一度、医者に通って薬をもらう。「今だば医者と友達になってしまって、何の薬だもんだが、『むいろ(6種類)』も飲んでる」と、あっけらかんとしている。物事にくよくよしない明るい性格と気丈さが90歳に届く年までこの仕事を続けさせてきた。
子供時代に奉公先で行儀作法と、魚の始末も教えてもらった。このことが後になってあばの仕事に生きることになる。
「何でも、頑張った分は自分に戻ってくる」―。母の言葉通りだった。
(論説委員・粕谷昭二)
競りの前、仕入れ伝票を見ながら支払金を計算する坂本さん=県漁協由良支所(左) 明日の商売に備え、自宅で下準備する坂本さん