2009年(平成21年) 8月12日(水)付紙面より
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好きだから百歳までも
愛犬に助けられ
鶴岡市加茂、坂本冨野さん(88)は、あば一筋66年。60歳半ばまではリヤカーを引いて加茂坂を上り下りし、大山まで通った。
重い荷を引く坂本さんを助けてくれたのが秋田犬の血を引く茶色の大型犬。「名前はジョン。人の体ほどある大きい犬で力もあった。リヤカーごと私もぐんぐん引っ張ってもらって。助けでもらったー」
一緒に行商した思い出は、坂本さんの心にしっかりと刻まれているものの、残念なことはジョンの写真がないことだ。「ほんとに1枚もねーなや。撮っておけばいがったー。せめて夢にでも出てきてくれればいいのに、ながなが(姿を)見せねもんだ」と、ジョンへの思いを募らせる。
仕事に追われて写真を撮る余裕もなかった。一度だけ大山の写真館の人に撮ってもらったことがあるが、それも見当たらない。
生まれてすぐに捨てられるという犬を譲り受けたのは昭和40年代半ば。ジョンは11年間、坂本さんと歩いた。「死なれた時は悲しくて、気落ちして…。お寺に連れて行ってお経をあげてもらった」
坂本さんはジョンの話になると、商売以上に言葉を弾ませる。まだつないでいなくてもそれほどやかましくなかった時代のこと、「行商を休んだ日の、大山の檀家から『ジョンは来たども、(坂本さんは)なして来ねなだ』って電話があったけー。ジョンがいつもの道を覚えていて“ひとり”で行ったんだろの」。坂本さんの脳裏には“ひとり”で加茂坂を歩くジョンの姿が今も浮かぶ。
共同で車購入
ジョンがいなくなった昭和50年代半ば、坂本さんら行商仲間8人でワゴン車を共同購入した。加茂坂の上り下りが年齢的に無理になり、「せめて加茂坂だけは車で」との考えからだった。1人十数万円の負担だった。
「実は」、と坂本さんは話す。
ワゴン車を共同購入する前、親しい仲間2、3人が知り合いの男性に頼んでトラックに相乗りさせてもらっていた。リヤカーを保管してある大山の倉庫まで送ってもらい、そこで魚をリヤカーに積み替えて行商に出掛けた。1人1回300円ほどの謝礼を払った。
ところが、この行為にタクシー会社からクレームが付いた。道路運送法に触れるというのだ。結局、警察にも注意されたことからワゴン車を共同購入したのだという。車は坂本さん名義で登録し、運転手を頼んで朝だけ送ってもらい、帰りは各自バスで帰った。
あばは生きがい
県漁協加茂支所での競りが1998(平成9)年に廃止され、加茂周辺のあばはめっきり減った。100人ものあばで熱気に包まれた同支所の競りは、昔のことになった。
今は由良支所の競りに通う坂本さんの、「この仕事が好きださげ百(歳)までも働きでど思ってる」と話す口ぶりから、あばは生きがいだ、との気持ちが伝わってくる。
坂本さんが日々の競りで肝に銘じていることは、母に教えられた「漁のある日は遅く買え、漁のない日は早く買え」。どちらも檀家第一の商売であるとの教訓でもある。
(論説委員・粕谷昭二)
競りの前、魚箱につまずかないように台車を支えに下見する坂本さん=県漁協由良支所(左) 競りが始まり、耳は競り人の掛け声に、目は魚に向ける坂本さん