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2010年(平成22年) 2月10日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―42―

つらい分、強い女の結束

家訓的に継承

 文化庁の選定を受けて旧温海町(現鶴岡市)が作成した記録集「浜中のケヤキキョウダイ」によると、明治から現在までケヤキ姉妹となった数は、年次が分かっているだけで117組(明治18組、大正10組、昭和78組、平成11組)。現在の鶴岡市大岩川浜中地区の戸数は75世帯。

 一方、各家庭がケヤキ姉妹の縁結びを大事にしてきた表れを、1世帯から何人が縁結びをしたかから知ることができる。最も多いのが安政4(1857)年生まれの女性を筆頭にした15人が1戸。以下14人2戸▽13人3戸▽12人4戸▽11人4戸▽9人9戸▽8人4戸▽7人7戸▽6人9戸など。半ば家訓的にケヤキ姉妹の縁結びが行われ、それが地域の伝統として受け継がれてきたとも言える。

大人への通過儀式

 ケヤキ姉妹は、女の子が大人の女性になる通過点の儀式ともいわれる。鶴岡市大岩川の五十嵐加代子さん(58)は、「ケヤキ姉妹は青い色から赤い色に変わるホオズキに例えられています。それは、女性の生理に当てはめた表現で、親にも言えない姉にも相談できない体の変化をケヤキ姉妹に聞いて教えてもらう。結婚後も夫や家庭の悩みを打ち明けて相談する。本当の親子、姉妹以上のつながり、信頼関係が築かれるのです」、と話す。

 浜中地区の女性は、ケヤキ姉妹にとどまらず年代によっていくつかの風習を受け継いでいる。娘時代から結婚以後はケヤキ姉妹の枠を超えた集団、「ユイ」と呼ぶ女同士の仕事の助け合い仲間「連レ仲間」をつくり、仲間同士が集まって会食などを楽しむ(連レアツマリ)。結婚後からおおよそ60歳では、遠方に嫁ぐなどで地元在住の「ユイ」仲間の人数が減り、それを補うため隣接の仲間と合併して新たな「連レ仲間」を組織し、60歳以上は「堂アツマリ」(念仏講)に参加する。

 大岩川地区は、男は漁に出るか冬は出稼ぎで1年の大半家を空ける。男に代わって留守を守る女性が、男手の不足を補うための助け合いの精神から、ケヤキ姉妹とそれに続く風習が生まれた。生活の知恵、小規模地域ならではの発想であり、半農半漁ならではのつらい現実がある分、女の結束は強い。

ただの友達でない

 ケヤキ姉妹は前近代的な風習と思われがちだが、簡単にそうとは言えない風習だ。加速する人口減少と高齢化は、近所付き合いの希薄を招いている。それだけに、ケヤキ姉妹のような助け合いは貴重な存在になる。

 相手方が東京に住んでいる大岩川の佐藤まき子さん(63)は「私には妹がいるけど“ケヤク”の人との人情的なものは、実の妹と変わりません。盆暮れの帰省時には必ず顔を出してくれます。ただの友達ではない感情があります」、と話す。

 ケヤキ姉妹が誕生したいきさつが、「助け合い」の精神性から必然的に生まれたとすれば、今に生きる人々が学ぶべきところは多い。しかし、この先は当分、ケヤキ姉妹の縁組は見込めないという。五十嵐さんは「何としても守らなければ」と話すが、時の流れでこの儀式に対する理解が薄れてきていることも確かだ。

(論説委員・粕谷昭二)

引き当てた縁組のわらを、変わらぬ契りを願って川に流す少女(矢口茂市さん提供)(左) 荒れた海での岩ノリ摘み。一緒にいて危険を知らせ合うのも助け合いだ
引き当てた縁組のわらを、変わらぬ契りを願って川に流す少女(矢口茂市さん提供)(左) 荒れた海での岩ノリ摘み。一緒にいて危険を知らせ合うのも助け合いだ



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