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2010年(平成22年) 3月3日(水)付紙面より

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庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と ―44―

写真、歌にも詠まれる

新鮮な魚売るあば

 作家、横光利一。あつみ温泉(鶴岡市)を舞台にしたという『終点の上で』で、同温泉伝統の「朝市」の様子を書いている。朝市で商売しているのは、もちろん浜のあばたち。

 〈「さア、もう朝市ですよ。」かう細君から云はれると、寝坊の梶も飛び起きて買い物に出掛けた。朝日のやうやくのぼり初めた道の両側の、鯛や比良目(ひらめ)、章魚(たこ)、烏賊(いか)、鱚(きす)など、とりどりの魚がまだ籠の中で海の砂をつけたまま蠢(うごめ)いてゐた。海ばかりではなく、鮎、やまめ、鮠(はや)など川のものも並んだ…〉と、魚がまだ生きている、新鮮な様子を描いている。

 横光は、朝市のある温泉を「A温泉」と書いているが、終戦の年の1945(昭和20)年、妻の実家がある旧上郷村西目(現鶴岡市)に疎開中の出来事を、日記風に描き表した代表作『夜の靴』では、妻子を連れて温海温泉(当時)に出掛けたことを書いている。

酒井家の井戸利用

 人々の日々の暮らしを写真に撮り続けた、旧庄内藩第17代当主・酒井忠明さん。3冊目となる写真集『日本海庄内浜』のあとがきで、加茂から魚かごを担いできたあばの様子を懐かしみながら、次のように書いている。

 〈今でも忘れられないのは、加茂のアバたちが天秤(てんびん)の前後の篭(かご)に魚をいっぱい詰めて町に売りに来る光景だ。少しでも新鮮な魚をと加茂からこの篭をかついで小走りに走ってくる。5、6人連れが一列で、一番前の人と一番後ろの人が大声で話し合いながら走り通す。私の家の門を入ると正面に屋根のかかった井戸があった、アバ連中は皆井戸へ走りよって冷たい水をうまそうにがぶがぶ飲む。飲み終わるとまたふり篭を肩にして町へ消えていった。その生活力の旺盛なこと…。若い女性より中年位の女性が多かった〉

 酒井さんは写真集で、道端に座って弁当を食べる様子、重い魚箱を背負って列をなして歩くアバ、赤ちゃんをおんぶして商売するアバ、天秤棒で魚箱を担ぎ、農村部の砂利道を歩く姿などを、見事にとらえている。

温海音頭の歌詞に

 情熱的な歌人・与謝野晶子は35(昭和10)年3月、夫・鉄幹を亡くした傷心をあつみ温泉(当時は温海温泉)で癒やし、8首の歌を残している。

 ・さみだれの出羽の谷間の朝市に 傘さして売るはおほむね女

 ・朝市の初まりぬとて起されぬ ほととぎすなと聞くべき時刻

 アララギ派の歌人・斎藤茂吉は40(昭和15)年10月、あつみ温泉を訪ねている。

 ・この市は海の魚のいろいろを朝のさやけきままに売りゐる

 茂吉は丹念に日記をつけていて、『斎藤茂吉と庄内』(斎藤邦明著)によれば、茂吉の日記に、「朝市メヅラシ、あけび、きのこ、まむし、その他魚澤山…」などと書き留めてあったことを紹介している。茂吉は、朝市の様子によほど強い印象を受けたのだろう。

 64(昭和39)年、「温海音頭」が作られた。踊りの振り付けは歌舞伎俳優の岩井半四郎という。歌詞の3番に〈♪あばやどこさゆく魚ばしょって よんべなぎだも朝市さ〉と、あばが登場する。

(論説委員・粕谷昭二)

鶴岡公園で振りかごを担ぐあばたち。大正6年の「家禽製作品評会」の記念絵はがきにもなった=鶴岡市郷土資料館提供(左) あつみ温泉の川沿いにある、朝市の女性を詠んだ与謝野晶子の歌碑
鶴岡公園で振りかごを担ぐあばたち。大正6年の「家禽製作品評会」の記念絵はがきにもなった=鶴岡市郷土資料館提供(左) あつみ温泉の川沿いにある、朝市の女性を詠んだ与謝野晶子の歌碑



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